七月を迎え、住職の私としては、いよいよ高島秋講が近づいてきたなぁと感じております。さて、この新旭町は豊かな水の恵みで有名です。皆さんも「かばた」といえば、新旭町のことを思い出されるでしょう。現在は針江地区の取り組みが有名ですが、藁園や深溝地区でも古くからどの家庭でも「かばた」がありました。
先日、即得寺の北側の庭を高島市鴨の中村石材店さんにお願いして、改修をしました。飛び石を配置して頂き、水鉢を設置して頂きました。石屋さんの丁寧な仕事に頭が下がります。この水鉢は蓮の葉をイメージして彫って下さったもので水に濡れると緑色に変色します。水の豊かな藁園で、この水も地下水であり、自然に湧き上がっています。
水は、途切れることなく流れ続け、私たち「いのち」あるものには無くてはならないものです。しかしその有り難さを普段はあまり感じないのです。「泉のごとく仏法が湧き出る」という言葉があります。毎日たくさんの水を使用していますがなかなか有り難さが分からないのが私たちです。
水は様々に形を変えますが、親鸞聖人は「高僧和讃・曇鸞和讃」で次のように示されています。
無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこおりとけ
すなわち菩提のみずとなる
罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし
普段忘れている水の働きを通じて、仏法の働きに出遇うことが願われます。