「思い違い」
境内のしだれ桜が盛りを過ぎ、こぼれるようにおじぎをしています。皆様の地域の桜はどうでしょうか。ニュ-スを聞いていますと、今年は全国的にずいぶんと早く桜の開花が始まったようです。
さて、先日私が出かけようと勝手口に向かうと、孫2人が走って来て、靴を履こうとしているのです。4歳の外孫は自分で靴を履いて待っていますし、1歳11ヶ月の内孫は靴を持って自分の足を出して、「ブ-ブ-」と自動車に乗りたいと意思表示をするのです。たぶん孫たちは「お爺ちゃんが出かけそうだ」「一緒に連れて行ってもらえる!」と思い違いをしているのです。しかし私の外出目的は御門徒のお宅へのお参りです。残念ながら孫の思いを叶えることはできませんでした。こんなことは皆さんも経験されたことがあると思います。
幼い子どもの期待や思い込みはかわいいものですが、私たち大人が思い込みをするとかなり厄介なことになります。「こうなるはずだ」「こうしてもらえるはずだ」と考えているにもかかわらず、自分が予想した結果と異なったときは、まず相手に非があるように感じてしまいます。「きっと感謝されるだろう」という私の思いで声を掛けた時に、相手の困った顔や迷惑そうな様子に出遇うと、自分の「思い違い」を思い知らされます。その時に問われているのは、「本当に相手のことを思っていたのかどうか」なのです。相手のことを分かったつもりになって、自分の都合を押しつけていたのではなかったか。その「思い違い」が結果となって、現れたのでしょう。法語カレンダ-には、『自分が偉いものと思うと 世の中が暗くなる』(曽我量深師)とあります。「思い違い」は常に私の「つもり」や「はず」が作り出すものです。「知っているつもり」「分かっているはず」の時こそ、頭を持ち上げることなく、しだれ桜のようにしなやかにありたいものです。