令和6年11月のご挨拶

有無の見

 朝夕に肌寒さを感じる季節となりました。ご門徒皆様にはお変わりありませんでしょうか。一日の寒暖の差が大きく体調管理に気をつけていただきたく存じます。

 先日、本堂でお勤めをしておりまして、ふと目に入ってきたのが「有無をはなるとのべたもう」というお言葉です。ご存知のとおりこの言葉は、親鸞聖人がお詠みになった「和讃」の一節です。皆さんは何回もこの箇所を読んでくださっていると思います。浄土和讃の「讃阿弥陀仏偈和讃」の第三首目です。

     解脱の光輪きわもなし  光触かぶるものはみな

      有無をはなるとのべたもう  平等覚に帰命せよ

「有無」というのは、有無の見をはなれるということです。「見」というのはものの見方ということです。宮城 顗先生は「私たちには、つねに自分の考え方を間違いのないもの、正しいものとして固執するということがあります。善導大師は、「五濁」のなかの「見濁」、つまり思想の混乱ということを、自分の誤った考え方を、いや、決して間違っていないといいくるめ、他者の正しい考えを、いや、そうでない、間違っているといいつのることと釈しておられます。」と述べておられます。

 私自身の生活を振り返ってみますと、「有無」のこだわりが悩みや不安を生み出していると考えられます。自分にとって何が正しいか間違っているかは実はよく分からないのに、目先の都合で判断していまうことがあります。そんなときは、必ず自分は正しいという立場に固執しますから、他の人との摩擦が生じるわけです。

 仏様は、「有無にこだわるな」「有無をはなれよ」と呼びかけてくださっているのです。お念仏をいただくと、「有無」にこだわっていた自分に気付かされます。「有無」をはなれたとき、他の人の言葉や考えが聞こえてくるのではないでしょうか。

 【ご報告】 この10月に若院(真哉)が、名古屋大学大学院の教授となりました。家と名 古屋の行き来を繰り返す生活で苦労の多いことですが、いよいよご門徒の皆様と ともに歩みを進めさせていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いしま す。