令和7年5月のご挨拶

「国益とは」

 今年1月にアメリカの大統領にトランプ氏が就任してから、テレビでトランプ氏を見ない日はありません。それだけアメリカの大統領という椅子は力を持っているのだと思います。特に3月以降は連日、「トランプ関税」についての報道が盛んに行われ、トランプ氏の発言によって、株価や為替相場が乱高下する事態が起こっています。世界最大の経済大国であるアメリカが、各国との貿易について関税という新たな壁を設けた影響が大きいからでしょう。

 トランプ氏はアメリカ第一主義を掲げて大統領選挙で当選しました。アメリカの利益を最優先に考え行動するのが当たり前なのかもしれません。しかし、今回の関税措置が本当にアメリカの国益に叶うかが疑問です。関税騒動について報道される内容を見ていると、原因は貿易における赤字が問題であると主張していますが、本当に関税率を上げれば解決する問題であるのかが疑問です。今や、あらゆる製品は国境を越えて生産され、流通しています。日本のス-パ-マ-ケットに並んでいる商品も、外国産のものが多く並んでおり、パソコンやスマートフォンの中味は外国の部品で組み立てられています。今や、物も人も国際社会の中で移動し関係し合って成り立っているのでしょう。

 そもそも国益とは何でしょうか。その国にとって利益となることだと考えますが、国とは何を指すのでしょう。一口に国と言っても様々な体制があり、様々な人が存在します。国のとらえ方はいろいろあると思いますが、その土地に生活している国民を抜きにして国を語ることは出来ないと考えます。その意味では国益とは本当にその国の国民にとって利益となるかどうかを考えなければならないと思います。国益とは、目先の損得に振り回されることではなく、すべての国民にとって何がその国にとって利益となるのかを問うことから始まるものだと思います。さらに、一過性の利益の追求ではなく、50年、100年先においても国益として受け継いでいけることでなければならないはずです。  歎異抄後序には次のような記述があります。『聖人のおおせには、「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。」そのゆえは、如来の御こころによしとしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめ』とあります。私達凡夫にとっては何が国益であり、何が国益とならないかが分かりません。仏教では「自利利他」を説きます。自国の利益だけ考えるのではなく、他国と共に生きる道があるはずです。そのためには、本当の利益とは何かを問い続けることが大切なのではないでしょうか。