幸せってなに?
今年の暑さは格別で、30℃越えの気温に身体がついていきません。ご門徒の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。熱中症対策をしっかりととっていただき、体調管理にお気を付けください。
さて、法語のカレンダ-には「道は近きにあり 迷える人は これを遠きに求む」とあります。私たちはいろいろなものを求めて生活していますが、本当に手に入れたいものは何でしょうか。この法語に記されている道とはどのような道なのでしょうか。私たちは生まれた日からずっとこの人生を歩み続けていますが、何のために生きるのかがはっきりしていないのではないでしょうか。
平野修先生は「この世の三種の功徳」を次のように記されています。「この世で優れた性質と可能性を持つものは、言うまでもなく「お金」です。二番目は何かというと、それは「健康」です。健康というのは非常に優れた性質と可能性を持っています。三番目は知恵とか技術ということで、広い意味で言うと、「知識」ということになります。」
なぜ、この三つを手に入れたいと考えるのでしょうか。それはこの三つが手には入れば「幸せ」を実現できると考えているからでしょう。どの人も、「幸せ」になることを人生の目的としているのではないでしょうか。しかし「お金」を手に入れたからいって「幸せ」が手に入るとは限りません。むしろ「お金」があることによりトラブルに巻き込まれる危険が生じます。「健康」であることは「幸せ」なことだと思いますが、本当にその幸せを感じるのは「病気」になってからではないでしょうか。「健康」な時はそれが当たり前だと考えて、「幸せ」とは感じにくいのかもしれません。「知識」に優れていることは大切ですが、人と比較して自分は「偉い人間だ」と傲慢になるのでは幸せとはいい難いでしょう。
いずれにしても、「幸せ」を実現するために、経済力や地位名誉や健康を必死になって求めていても、そこには私たちが求める「幸せ」は存在していないのではないでしょうか。
「幸せ」とは一体どのようなことなのでしょうか。私たちは「幸せ」になりたいと考え、「幸せ」を求めて生きていますが、どうなることが「幸せ」になることかが分かっていないのではないでしょうか。今よりも豊かになり、便利さを求めることが「幸せ」だという考え方もあるでしょうが、戦後80年を迎える今、物が溢れ、便利さを十分享受する生活がここにあります。しかし「幸せ」を実感しているかというと、むしろ「空しさ」の方が大きいのではないでしょうか。
「幸せ」とは都合のよいことを求めることではないのでしょう。都合が悪いと思っている事柄から私自身の在り方が問われ、そのことから学び育てられることにより、本当の私自身の歩むべき道が明らかになると考えます。その道は決して楽をする道では無いと思いまが、その苦労を通じて生きる喜びに出遇い、人生の深さや重さを感じるのだと思います。
「幸せ」はきっと私たちの足下にあるのだと思います。