自力と他力
ご門徒の皆様におかれましては健やかな新年をお迎えのことと存じます。平素はご門徒の皆様に大変お世話になりありがとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
さて、昨年は坊守(川那邉睦美)の還浄という大きな悲しみに出遇いました。百か日のお勤めを迎え、いよいよお念仏ひとつであることをいただいております。
さて、浄土真宗の教えは「他力の信心」と説かれています。「自力と他力」について宮城顗先生は『正信念仏偈講義第二巻 法蔵館発行』で次のように著しておられます。
「自力によるかぎり、人間は必ず行き詰まる。わが力を頼み、わが力によって生きる。しかしその力は、年々歳々衰えていくわけです。いやおうなしに老病に出会っていくわけで、わが力を頼むかぎり、最後に残ることばは、『こんな私になってしまって』ということばです。何十年も一生懸命生きてきて、最後に残ることばが『こんな私になってしまって』という嘆き。そういう嘆きしか残らないとすれば、これほど寂しくむなしい人生はないわけです。・・(中略)・・曽我量深先生は、『他力を信ずるとき、はじめて自分を信ずることができる』ということをおっしゃいました。他力を信ずるということが、まったく自分で努力せずになにかの力をあてにして生きるずるい生き方というようなニュアンスでしか使われなくなっていますが、けっしてそういう意味でないことは、いまさら言うまでもないことです。
他力というのはどこにあるのかといったら、自分の中に私をして歩ましめてる力としてあるわけで、どこかにそういう力を持った人がいて、その力をあてにするということではない。私なりの言い方で言えば、何事かができるといういうことの不思議。その何事かができるということの不思議を感ずるところから始まる、そういう生活が他力です。・・(中略)・・
他力を信ずると言うことは、従来のことばで言えば、おかげということばを使ってもいいわけですが、おかげを受けているわが身を信ずる。わが身を信ずると言いましても、他力の生活においてはじめてわが身を尊信する、尊ぶということができるのでしょう。私どもは、他と比べて一喜一憂し、優越感にひたったり、劣等感に陥ったりするわけですけれども、そういう他と比べてでなしに、自分を自分の在り方において尊ぶ。自分を自分の在り方において本当に尊ぶということができなければ、けっして力を尽くして生きるという生活は開かれてこないのでしょう。ですから他力とは、一口で言えば、自己を賜る体験です。他力において、はじめて自分というものを賜わるのです。ほんとうに尊信できる自分、他と比べる必要のない、自分のあるがままをとことん生きていける、そういう自分を賜るのです。」 今回は宮城顗先生のお言葉を紹介しました。