12月に入り、報恩講をお迎えする時期となり、私は時間に追われる生活をしておりました。今年度の報恩講は、5日に始まり7日の御満座をもって無事にお勤めすることが出来ました。総代さんはじめ御門徒の皆様のご協力に、改めて感謝を申し上げます。
「報恩講」とは、日頃の私自身のあり方を見直す機会です。本堂に身を置き、如来様の前に座らせてもらうと、自分自身が映し出されるのです。どこまでも自己を中心とし、つまらないことにこだわり(しかしこだわっている時はつまらないことだとは分からない)自分の我欲を振り回しているのです。なんと「お粗末な自分であるか」が知らされるのです。私たちは、自分の思い通りになって「当たり前」と考えて生活をしています。そのため、「思い通り」にならないことが起こると、そのことを受け入れることができず、不安になったり、怒りをぶちまけたりするのです。
私事ですが11月末から風邪を引き喉の調子が悪く、11月29日には声が出なくなってしまいました。ある方の「お通夜」のお勤めに行きましたが、「正信偈」を読もうとしますが「声」が出ません。本当に辛い思いをしました。ありがたかったのは、通夜に参列された方々が一生懸命に「正信偈」を読んで下さり、声の出ない私を助けて下さったことです。その後、声も徐々に出るようになり、報恩講を勤めることができました。今回の「報恩講」を通じて感じたことは、「当たり前」と感じていることが、実は「当たり前」ではなかったということです。特に私は、「声」が出て「当たり前」と考えていました。しかし今回、声が出ないという事態に見舞われ、辛い思いをしたと同時に、声が出ることの有り難さを身をもって教えられました。年に一度の「報恩講」は、「当たり前でなかった」事実に気づかせていただく機縁なのです。気づいたときに、私自身が初めて「感謝」という心を頂けるようなるに思うのです。
お寺では毎日(土日以外)朝6時30分に大鐘を撞いています。最近では東の空が少し明るくなっています。しーんと冷えた空気の中に、大鐘の音が「ゴーン」と鳴り響いています。この大鐘の音を耳を澄まして聞いて下さい。「ゴーン」「ご~ん」「ごぉ~ん」「ごおーん」「御~恩」「御恩」と響いているのですね。
大鐘は、「御恩」に気づけない私に大鐘の響きとなって問いかけてくれています。