噛むとはしるとも、呑むとしらすな
『蓮如上人御一代聞書』(第80通)に、古いことわざの「噛むとはしるとも、呑むとしらすな」ということについて述べられています。その内容は食べ物の甘い辛いをよく噛みしめて味わうことを教え、味わいもせずにぐいっと呑み込むことは教えるなということです。
小学校の給食でも、「よく噛んで食べましょう」という指導が行われています。味覚は私たちの舌にある味蕾(みらい)という器官で味を感じ取り、脳で「甘い」「苦い」という味を感じます。ひとつの味蕾の中には50~100個の味を感知する味(み)細胞があり、酸味、塩味、苦味、旨味、甘味のそれぞれに対応しているそうです。本当に味わって食べると、同じ「甘い」でも、食べ物により甘さは異なり、また、「苦み」や「酸味」なども味の深さを引き出す重要な要素だといえます。
よく噛んで食べるとは、健康上のことだけでなく、口に運んだ食物について、その中にあるいろいろな味を楽しむことが教えられているのでしょう。噛むだけでなく、調理されたそれぞれの品をゆっくり眺めることにより、その食材の産地や調理方法、作った人についても想像力や感謝の心を膨らますことができ、今まで以上に食事を喜ぶことができるのでしょう。
蓮如上人が「呑むとしらすな」と示されたのは、つまり、物事について鵜呑みにせず、多面的に考える視点を持つことこそが大切だと教えられたのです。今日、情報化社会の中では、その情報を「咀嚼(そしゃく)」することなく、呑み込んでいることが多いのではないでしょうか。人間関係についても、人それぞれの味があり、その味を味わって付き合えれば、関係を楽しむことができると思います。
人生は、年を重ねるほどに味わいが深くなるものでしょう。人生を呑み込まずに、聞法生活の中で一日一日、ゆっくり噛んで味わいたいものです。 (住職)