令和8年5月のご挨拶

謙虚

 東本願寺発行の「法語カレンダ-」には「謙虚は人間の努力でなせることではない」と記されています。もし、自分のことを「私は謙虚な人間です」と述べたなら、周りの人はどう感じるでしょう。そのとおりだと思う方もいらっしゃるでしょうが、多くの場合は自分のことを「謙虚な人」だという発言が、「傲慢」と感じられるのではないでしょうか。

 最近世界各地で紛争が勃発しています。当事国の大統領が自国の条件が受け入れられない場合は、相手国を攻撃し「石器時代へと逆戻りさせる」という発言をされました。この発言を聞いたとき、なんという「傲慢」な考えだと感じたました。たぶんこの大統領は、常に「自分は正しい」と考え、けっして自分は「傲慢」ではないと思っておられるのではないでしょうか。

 私たちは知らず知らずの間に、「傲慢」になっていることに気付けなくなってはいないでしょうか。私は以前、「人を大切にするとはどうすればよいか。」ということを考えていました。それは相手の欲する物を与えることではなく、相手に寄り添い、相手とともに歩むことだと思います。しかし、そうすれば本当に相手を大切にできるのでしょうか。「私はあなたを大切にしていますよ。」と思った瞬間に、自分の傲慢性が顔を出すのではないでしょうか。

 環境問題においても同じ事が言えると感じます。「私たちは地球を守り、地球を大切にします。」と宣言しますが、実は地球環境を壊しているのは、私たち人間であるのです。私たち人間を含むすべての生命は、地球によって守られ、地球から大切にされている存在なのです。

 「人を大切にする」ことでも、「地球を大切にする」ことでも、実はそれ以前に自分自身が既に大切にされている事実に気付かず、そのことを忘れていることこそ、「傲慢」であると思います。  お念仏の教えは、仏様から一人ひとりに呼びかけとなってはたらき続けているのです。その呼びかけに出遇うと、「自分こそ正しい」と考えていたこと、「自分こそ謙虚な人間」だと思っていたことが、問いかけられるのです。その呼びかけに出遇うと、自分の姿が照らしだされ、自己の傲慢性に気付かされるのです。