「贋作」
あけましておめでとうございます。平素はご門徒の皆様方に大変お世話になりありがとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
さて、昨年は皆様にとってどのような一年でしたか。私にとっては、一日一日が貴重な時間であり、それだけに時間の過ぎ去る速さに驚いています。
さて、先日NHKの番組で脚本家の倉本聰さんが紹介されていました。「北の国から」などのドラマで名作を生み出した方です。現在89歳の蔵本さんは、最後の映画として36年ぶりに「海と沈黙」という作品を手がけられたとのことです。映画のテ-マは「贋作」について問いたいとのことです。倉本さんは「贋作」が見つかると、なぜ昨日まで美しい、美しいと言っていたもの、そのものの美しさは変わらないはずなのに、一斉にそっぽを向いてしまうのか。美とはそんなものなんだろうか?」と問いかけておられるのです。またそれは「贋作」という詐欺まがいの行為について、人を欺くということをどのようにとらえるかを私たちに問いかけていることでもあると思います。
インタ-ネットが普及し、大変便利な社会になりましたが、一方でフェイクニュ-スを流したり、投資詐欺やロマンス詐欺などが横行しているのも事実です。投資詐欺などについても、欺す方が悪いに決まっていますが、大金を不用意に送金してしまう側にも問題があると感じます。
お経には「五濁」と示され、人間の汚れを説いてくださっています。特に「劫濁」(こうじょく)は社会全体の汚れを示され、人間の価値観の変化や社会的・精神的乱れを指摘しています。
倉本聰さんの「贋作」のテ-マは、まさに本物とは何かを問いかけていると思います。作品だけでなく、私自身が人間として「本物」であるかどうかを問い返さなければならないと考えます。親鸞聖人は、歎異抄で「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」と説いておられます。念仏は常に、私自身の汚れを「汚れとして」気付かしてくださる真実のはたらきです。