御本山では春の法要が勤まる頃となりました。今年は二月・三月が比較的温暖であったために、桜便りが例年より早く聞かれます。皆さんの地域でも、ぼちぼち咲き出している頃でしょうか。もう満開の花を楽しんでおられる方もおいでかと思います。桜は古来より日本の花とされて、人々に親しまれ様々なエピソードも伝えられてきました。「桜」と聞くと、いつも親鸞聖人のお得度(出家)ということに思いを馳せてしまうのは私だけでしょうか。
親鸞聖人は幼少の頃は松若丸と名乗られ、幼くして父上母上とお別れになり、伯父様である日野若狭守範綱卿に育てられました。範綱卿は松若丸の得度(出家)について当代随一の名僧である慈鎭和尚に申し出られたのです。その時、慈鎭和尚は「規則で十五歳までは僧侶となることが出来ません。十五歳になられたら青蓮院で得度(出家)なさるがよろしいでしょう。」とお答えになりました。何度お願いしても慈鎭和尚の答えは変わらなかったのです。そこで松若丸は「あなた方お坊様は、出る息入る息を待たずとか、明日の命は知れぬ、とか仰せられますがあれは嘘ですか。私が十五歳まで生きられると誰が保証できますか。十歳で死んだらなんとなさいますか。地獄にも極楽にも行けず、ただ迷うばかりです。どうぞこの得度(出家)の願いを聞き届けて下さい」とお話になったのです。この言葉に慈鎭和尚は心を動かされ、得度式を約束され、「今日はもう夜も更けて遅いので、明日の朝に得度式をしましょう」とおっしゃったときに、松若丸は口を開かれ、「明日ありと思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と一首歌を詠まれたと伝えられています。親鸞聖人の得度(出家)に対しての強い決意が感じられるとともに、仏法を頂くということは、「今のご縁」に出遇うことであることを教えられます。またこの歌は、今日すべきことを一日延ばしにしている私のあり方を問いただして下さるものです。
松若丸の和歌に対して慈鎭和尚は、「この山の 法の灯(ともしび)かかぐべし 末頼もしき 稚児の心根」と一首詠んで、松若丸の得度を喜ばれたということです。
写真は境内のしだれ桜で、ソメイヨシノより一足早く咲き始めました。