平成30年6月のご挨拶

「育つ」

 先日、近くの養護学校の生徒さんたちが花の苗をリヤカ-に載せて、販売実習のためにお寺を訪問してくれました。3月から丹精を込めて育てられた苗がリヤカ-一杯に所狭しと並んでいました。近くのホ-ムセンタ-で購入した苗も追加して、プランタ-に植えました。なかなか花の名前は覚えられないのですが、今回植えた花は、ベゴニア、サルビア、インパチエンス、マリ-ゴ-ルドの四種類です。これから楽しみながら水やりを行い、育てたいと考えています。

 ところで「育てる」という言葉を考えていると、妙に恥ずかしい気持ちになります。その理由は、「俺が育ててやっている」という思いあがった心が見え隠れするからです。つい、花でも野菜でも、「俺が育てたんだ」という自意識がでてしまうのです。「育てる」というと、自分が世話をすることによって、思うように成長させることができるような錯覚に陥るのだと思います。しかし、花が育つには様々な条件がなければ育たないのは明白です。

 相田みつをさんの「自己顕示」という詩に

 「この花は おれが咲かせたんだ」 土の中の肥料は そんな自己顕示をし ない おれのような。

 と示されています。

 「育てる」ということは同時に「育つ」ということでしょう。親の年齢と子どもの年齢は同年齢ということがあります。そんなはずはないと私達は考えるのですが、親の年齢とは親になってからの年齢という意味であり、子どもの誕生と同時に親としての歩みも始まるということです。その意味では、子育ては「親育て」の道であるはずです。真宗の教えでは「お育てに遇う」ということが言われます。親鸞聖人は、私が人間として「育てられる」道は、お念仏を称え、仏の呼び声に出遇うことだと教えられました。

念仏を頂くと、互いに育ち合いの関係が生まれるのではないでしょうか。

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