令和元年7月のご挨拶

「自由」

 先日、本屋さんに立ち寄り本棚に目をやると、新書の本の帯に『「考える」ことで人は初めて自由になれる』という言葉を目にしました。この時、私は「自由」とはをどんなことをいうのかという疑問が起こりました。日頃、自由だとか、不自由だとか余り考えたことがなかったため、改めて「自由になれる」という言葉を目にしたとき、戸惑い半分、疑問半分の気持ちになりました。 さて、広辞苑では【自由】について、①心のままであること。思う通り。自在。②他からの拘束・束縛・強制・支配を受けないこと。と示されてあります。 さて、「毎日、自由自在に生活をしていますか」と問われると、「これさえなかったら」「これがあれば」もっと自由になれるはずだと考えている自分がいるのです。「自由」とは一体どのようなことでしょうか。仮に「不自由」だと感じているとするなら、「不自由」を作り出している原因は何かを考えなければなりません。明らかなことは、自分を縛っている何かが存在するということでしょう。広辞苑では他からの拘束や束縛と示されていますが、身体的に自由を奪われるということは勿論ですが、特に精神的に自分を縛っているものは何かを考えてみたいと思います。不自由さを感じる場合、自分の置かれている立場や状況によって束縛感を感じるのではないでしょうか。私たちは、それぞれの立場や役割、他との関係、常識と言われること、世間体などを絶えず意識して生活しているはずです。その時々で、その関係や考えに基づく行動に自由を感じたり不自由を感じたりしているのではないでしょうか。その意味では本当に他からのはたらきかけによって不自由が作り出されると考えていますが、実は不自由を作り出しているのは、私自身の考えではないでしょうか。自分を縛り付けているものが、自分以外にあると考えていましたが、実は自分自身が縛っていることに気付かないことには「真の自由」はないと考えます。また、本当の自由とは、自分の勝手気ままに生きることではなく、「他者と共存」することによって生まれるものではないでしょうか。

 自由を実現するということは自分が感じている「不自由」を取り除くことではないのでしょう。今あるがままの自分が、もうすでに大きなはたらきの中に生かされていることに気付くことではないでしょうか。自分を支えている大きなはたらきに出遇うと、自在に生かされている「いのち」の中に「自由」を実感するのでしょう。のです。皆さんにとっては「自由」とはどんなことだと考えますか。