令和2年2月のご挨拶

「光陰矢のごとし」

 皆様はいかがお過ごしですか。今年は例年に比べて暖冬で、新旭でも雪がない冬となっています。テレビや新聞では「新型肺炎」が猛威を振るっており、感染される方が日を追うごとに増加していることです。皆様も予防に心掛けていただきたく存じます。

 さて2月を迎えて感じたことは、「新年を迎えたのが数日前のような気がしているのに、早くも1ケ月が過ぎ去っていた」という事実です。文字通り「光陰矢のごとし」です。広辞苑では「光」は日、「陰」は月をあらわし、月日、歳月、時をあらわすとのことです。振り返ると、1月は何をしていたのだろうと思い返すのですが、ただただ忙しさに追われて、気がつくと2月を迎えていたのです。実は時間の感覚というのは感動がなくなると早く感じるのだそうです。小学生の時は一日が長く感じていたと思います。長く感じるのは同じ時間を過ごしていても、ワクワク、ドキドキという感動があったからだそうです。日常の少しの変化にも、友達との遊びの中にも、ワクワク、ドキドキがあったはずです。しかし、60歳を過ぎた私は、毎日の中でワクワク、ドキドキすることが少なくなり、感動する心が乏しくなってきたと感じるのです。一日一日は新しい時間として頂いているはずですが、ともすれば毎日の生活が同じ事を繰り返しているだけの生活になっているのでしょう。そのため、感動も乏しくなり、ワクワク感を忘れてしまっているのです。その証拠に、昨日食べた食事の内容が思い出せないのです。ワクワクしながら食卓に着き、一つ一つの食材を味わい、感動しているかと問われると、答えられないのです。

 蓮如上人の白骨の御文には「さればいまだ萬歳の人身を受けたりということをきかず。一生すぎやすし」と示されています。また、法語には「何年生きたかではなく、どう生きたかである」とあります。

 今一度、生活を見直すと、孫との生活に「ワクワク、ドキドキ」させられており、お寺を訪れて下さる方との出遇いも「ワクワク、ドキドキ」するものです。何も外に目を向けなくても、「今日私の目が覚めた」ことがすでに「ワクワク、ドキドキ」であるはずです。自分の手が動くことも、家族と話せることも、実は「ワクワク、ドキドキ」であるのです。そのことを忘れているから、時間だけが過ぎ去ってしまい、時の速さに驚くのです。