令和5年3月のご挨拶

「今」を安心して 生き生きと

 春。出会いに季節。年々「新しい出会い」も少なくなり、新鮮な感覚も失いがちなのですが、皆様はいかがでしょうか。しかし、これまでに得ることができた「あたり前のようなお出会い」がまた、どれ程尊いものであったかを改めて知らされ、深まりをもってくる日々でもあります。

 さて、私(坊守)は305日間の入院生活を 経て、3月2日に退院させて頂くことができました。「自宅養生・通院」という形で、しばらくは家でも入院同様の生活ではありますが、家族の元に帰ることができた喜びを実感しています。皆様からあたたかい励ましのお言葉やお心をかけて頂きました事に、感謝の手を合わせております。ありがとうございました。「人の心のあたたかさ」に、人はどれ程支えられて生きていることでしょうか。

 入院中は移植前の感染予防のために、健康な歯を10本も抜いてもらったり、様々な症状で苦しい時期がありました。ある時はうまく呼吸ができなくなり、「いち・・にい・・さん・・・」と数えながら息を吐いて寝ようとするのですが、続かない。そんな時、ひとつ置きにお念仏が出てきました。「いち・・南無阿弥陀仏・・・にい・・南無阿弥陀仏・・・145・・南無阿弥陀仏・・」あたりまで覚えているということは、その辺りで眠れたということでしょうか。阿弥陀様が私の苦しみを、ともに背負って、私の息となってくださったと思います。

 「吐く息、吸う息、有難く、一息一息がお念仏」という心を忘れぬようにしたいと思いました。

 また、この間、何人かの患者さんとのお出会いもあり、皆愛すべき存在となりました。同時に、これまでの事が反省されたり、恥ずかしくなったり、感謝の手が合わさったり・・・。またまた、それどころではなくなったり・・・。 人として、また動物(ただただ生き物)として生かされる時間を賜りました。どの時間も私にとって大切であったと思えます。

 主治医の先生から「退院」という言葉が発せられた時、夢のように感じられました。そして家族一人一人が大変喜んでくれました。しばらくは家族にもいろいろ迷惑をかけるばかりなのに。考えてみれば、以前はあたり前と思いながら家族と生活し、その中で様々な問題に日々あくせくしていたのに、戻れるというだけで、全てがOKという思いになっているのは不思議でありました。

 「退院が約束された身になった」その事そのものが、それほど救いの思いと感謝一杯になるのですね。

 「現生正定聚」ということは、「仏となることが約束されている身」だと知ることで救われ、「今」を安心して生き生きと生きられる すばらしい世界であります。しかも親鸞聖人は「御同朋・御同行」という「人との関わり」を教えて下さり、そこに「浄土」という世界観を開いていてくださる。このような「お念仏の眼差し」に出遇い続けることは本当に幸せです。ご縁あるお仲間とともに聞法生活の喜びを感じていきたいと思います。

即得寺坊守 川那邉睦美