令和8年9月のご挨拶

健康とは

 暦の上では、立秋・処暑を迎えていますが、連日の暑さに参っています。それでも朝晩は風や虫の鳴き声から秋を感じます。皆様はいかがお過ごしのことでしょう。

 さて、皆さんは毎年健康診断を受けておられるでしょうか。私は勤めておりましたときは、職場で健康診断を受けておりましたが、退職してからは受けておりませんでした。案内通知は届いているのですが、なんだか面倒だと感じ、受診してなかったのですが、今年度の6月にはじめて高島市の保健センタ-で受診しました。結果は血圧がやや高めでしたが、他の項目はすべて合格点でした。結果が届くまで不安半分期待半分でしたが、ホットしました。若い頃は、自分の身体を意識することなく動いていましたが、年齢とともに身体というものの存在を感じるのです。

 哲学者の池田晶子さんは「41歳からの哲学」(新潮社)で健康について次のように語っておられます。

 「なるほどこの世で生きるということは、体をもって生きるということなのだな。この恐ろしく当たり前なことに、不調を知るようになって初めて気がついた。歳を取るということも同じことだが、体があるとは、なんだこのことだったのか。四十をすぎて、腑に落ちた。腑に落ちてみると、今度は、健康のありがたさが身にしみる。体のどこにも不快のない状態というのが、いかに貴重な時間であるか。そのように体も心も安らいでいる時間というのは、人生から与えられる僥倖と言っていい。いい仕事のためにも、いい思索のためにも、健康でありたい。私が健康に気を遣い出したのは、つい近年のことである。まさしく人並みになったのである。

 と言って、定期健康診断や人間ドックや、サプリメントを予防的に飲むといったことではない。健康とは、そういうこととは違うことだ。そも健康とは、病気がない状態のことを言うのだろうか。だとしたら、病気とは何か。もしも病気とは、何らかの病名のことだとすれば、病名とは人間が付けたものであって、自然のものではない。病名をつけられて不安になったり安心したりするのは、したがって不自然である。不自然であることは不健康である。健康とは、自然であることという。これもまたひどく当たり前のことになるのではなかろうか。」と述べておられます。

 身体の健康に目を向けると、心の健康にも目が向きます。私たちは身体的な健康を求め、老いや病気に抗おうとしますが、本当の健康とは何なのでしょうか。優越感や劣等感、ねたみや自己中心の考えに気付かされたとき、心の健康を考えるきっかけになるのでしょう。