令和8年8月のご挨拶

伝える

 連日の暑さの中、7月28日の夕方に熊本での地震のニュ-スが飛び込んできました。熊本といえば2016年の地震から10年が経過し、まだその傷跡が癒えていませんが、今回再び震災が起きました。お亡くなりになった方々に心よりお悔やみ申し上げます。そして被災された方々に対しまして、お見舞いを申し上げます。1日も早く日常を取り戻していただきたく存じます。

 さて、私たちはいろいろな事柄を人に「伝え」、また「伝えられ」て生活しています。「歎異抄」を読んでいると、作者である唯円はどんな気持ちでこの書物を著したのかが一番最後(後序)に記されています。「歎異抄」は師である親鸞聖人が亡くなられて20年ほど経過し、唯円自身も年齢を重ねたときに書き留められたものです。唯円は自身を「露命わずかに枯草の身にかかりて」と記しています。自身のいのちは長くはないと感じ、同じ念仏をいただいている人に対して、「伝えたい」という心が起こったのでしょう。唯円はその時の気持ちを、亡き親鸞聖人から教えられた趣旨の百分の一ほど、ほんのわずかばかりを思い出して書き付けたと述べています。人に何かを「伝える」には、自分自身が何かを「伝えられた」という経験がなければ成り立たないこともあるのです。

 私たちはこれだけは残したい伝えたいと考え行動をします。物やお金を残すことも大切ですが、本当に伝えなければならないのは、「考え方やあり方」ではないでしょうか。大切な人に何を残し、何を伝えなければならないかを問いかけて下さい。もし伝えることがないと感じたら、自らの人生において誰から、何を伝えられたのかに思いを馳せるとよいのかもしれません。

 唯円が歎異抄を通じて、私たち念仏者に伝えたかったことは、南無阿弥陀仏と念仏を申しながら生活するところに、自分の思いとは異なる世界が開かれてくるということです。人間性の回復と言うことでしょう。自分の考えを中心にして、すべてを好きか嫌いか、都合が良いか悪いか、損か得かを量っていた生き方から解放されることを願っていたのです。  8月はお盆の季節です。私たち自身が「親、祖父母、先祖」から何を伝えられているか、何を願われているかを受け止めたとき、次世代に何を「伝え」なければならないかが明らかになると感じます。