「平等とは」
今年の冬は、北陸や東北地方に於いては大雪に見舞われていますが高島市ではほとんど雪が降ることもなく、穏やかな冬を迎えております。さて、先日から「平等」とはどのようなことかを考える機会がありました。NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公の寅子は、日本初の女性弁護士で活躍されますが、一貫して「平等」というテ-マで物語が構成されていたと思います。日本国憲法第14条では、すべて国民は法の下に平等であり、人種や信条、性別、社会的地位などによって差別されないことが定められています。これは「法の下の平等」と呼ばれ、基本的人権の1つです。しかし憲法に記されているから「平等」が実現しているとは考えられないでしょう。身近なところでは男女差別や人種差別などさまざまな差別が生じています。親鸞聖人のお書きになられたご和讃の中に、「平等」という言葉が出てくる和讃があります。
解脱の光輪きわもなし 光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまう 平等覚に帰命せよ
浄土和讃(讃阿弥陀仏和讃第三首)
阿弥陀様は多くの異名で呼ばれており、ここでは「平等覚に帰命せよ」と記されているのは、阿弥陀様のはたらきを「平等」と親鸞聖人が受け止められたからです。また、釈尊がお説きになった「大無量寿経」についても、最初の経典名が「無量清浄平等覚経」であり、仏のはたらきを「平等」と考えたのです。元専修学院長竹中智秀師は仏のはたらきを分かりやすく「えらばず、きらわず、みすてず」と仰いました。
「平等」を国語辞典で調べると、「すべて等しく差別がないこと」と記されています。しかし現実には平等な世界を願いつつ、一方では自己中心の考え方に振り回されてはいないでしょうか。大統領や知事の発言から「○○ファ-スト」という言葉を耳にします。その国やその地方を第一に考える(第一主義)でとても分かりやすい考えですが、なにか利己的な感情を感じます。自国の利益のためならどんな手段も辞さない姿勢が感じられるのです。それは同時に私自身の中に存在している感情であり、常に「自分ファ-スト」を主張している我が身の姿ではないでしょうか。「平等」の根底には、どんな人も尊重され大切にされたいという願いがあるのです。仏の教えに遇えば、私は「自分ファ-スト」を貫いているのではないかという問いに出遇うのです。「平等」についての的確な回答は見つかりませんが、「平等」とはなにかを問い続けることが大切だと考えます。