令和元年8月のご挨拶

「仲よくする」

 日本列島が燃えています。連日の猛暑に皆様はいかがお過ごしですか。あまりの暑さに体調など崩されていませんか。くれぐれもご自愛下さいますよう念じております。

 さて、即得寺では例年通り7月20日~26日まで「和讃講」(子ども会)を実施しました。朝7時45分から9時までの時間ですが、小学生が本堂に集まり、正信偈の練習、歌やゲ-ム、夏の宿題に取り組んでいます。「和讃講」ではまず始めに「ちかい」をみんなで唱和します。内容は3つで、三帰依をやさしく子ども向けに作られたものです。内容は次の通りです。

 ・わたくしたちは ほとけの子どもになります。

 ・わたくしたちは 正しいおしえをききます。

 ・わたくしたちは みんな仲よくいたします。 

 この「ちかい」を参加した小学生とともに毎日、唱和しています。昨年までは疑問に思わなかったことですが、ふと、私自身が「みんな仲よくいたします」と声に出すと、「仲よくする」とはどうすることかと疑問が湧いてきたのです。皆さんはどのように感じられますか。

 仲よくしたいと思っていても、本当に仲よく出来ているかを問われると、出来ていない現実があります。本当は仲よくしたいと思っていても、何か心の隔たりを感じるのです。その時に思うことは、「相手がもう少し私のことを理解してくれれば」「あの人がもう少し協力してくれれば」と仲よく出来ない理由は相手にあると考えるのです。しかし、仏教では「怨憎会苦」という言葉があり、仲よく出来ない原因は、私自身が人を嫌うという心があるからだと示しているのです。

 しかし、「みんな仲よくいたします」ということは、嫌わないということでは解決しないのです。老若男女と言いますが、年齢や性別、職業などを越えて全ての人が仲よくしたいという願いを持っていても、なかなか実現できないのです。仲よくしたいという心には、具体的には「人を大切にしたい」ということがあるはずです。自分と同じ「いのち」を生きていることの大切さに気付くことでしょう。親だから大切なのですが、親であるまえに一人の人間として大切だと考えているか。子どもだから大切には違いないが、一人の人間として接しているかが問われるのでしょう。

 みんな仲よくしてほしいというこの「ちかいのことば」は、仏さまから私たちに向けられた「願い」なのです。この「願い」をしっかりと受け止めたいです。