令和元年9月のご挨拶

「実りの秋」

 朝夕はずいぶんと気温が下がり、秋風を感じる季節になりました。皆さんのお住まいの地域ではお変わりはありませんか。先日からの大雨による災害を受けられた方に、心からお見舞いを申し上げます。

 さて、新旭町の田園地帯を散歩していると、早くも稲の刈り取りが行われています。太陽の光をいっぱい浴びて黄金色に実った稲穂は、その重みで頭を下げているのです。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という句を実感します。

 また、相田みつをさんの詩には

  「どんな雑草でも 時期がくれば 

   だまって 自分の花を咲かせ  自分の実をつける」

という言葉があります。これを読んだときに感じることは、どんな雑草でも花を咲かせ実をつけるのなら、一体自分はどんな花を咲かせ、実をつければいいのかということです。皆さんはどのように感じられますか。自分の花を咲かせるということはどんなことだろう。また、自分の実をつけるというけれども、人生における「結実」とは何を指すのだろうと考えるのです。六十歳半ばの私にとっては、この詩が問いかけてくることになかなか応えられないでいます。

 先日、因果について講義を受ける機会がありました。講師の先生は、因果の関係について「種を蒔いたからといって必ず実がなるとは限らない。しかし、実がなっているということは、必ず種が蒔かれたということである」と述べられました。

 いよいよ「実りの秋」です。果物やお米、野菜がおいしい季節になります。実がなるということは、種を蒔き世話をされる人がいるということです。ブドウやナシを頂くことができるということは、遠方より送って下さる方がいるということです。「因」を尋ねてみれば、本当に有難いことばかりであるのです。結果だけに目を奪われると、損得しか見えなります。私も仏法のご縁を頂き、実り多き日々を送らせて頂きたいと感じます。

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