令和5年12月のご挨拶

「報恩と知恩」

 寒さが一段と進むと、いよいよ「報恩講」をお迎えする時期だと感じます。皆様はいかがお過ごしでしょうか。先日本堂に防雪・防風対策としてビニ-ルカ-テンを設置していただきました。昨年も本堂の階段や縁に雪が吹き込み、ご不便をお掛けしておりましたが、改善できたことを喜んでおります。

 さて、報恩講の大切な目的は「恩」を知らされることだと思います。私たちが生活していくためには、無数のいのちの恩恵を受けています。その意味では「恩」は私を成り立たせている根本であり、「恩」に対する謝念の心が人間としての基本ではないでしょうか。

 一方、「報」の文字は、報(むく)いるという読み方ができますが、他には報(しら)せる。と読むことができます。火災報知器や報告、一報などは報(しら)せると言うときに用います。「報恩」とは恩に報いるという意味ですが、それは私が頂いている「恩」の大きさに気づくことがなければ始まらないのです。その意味では「報恩」は「知恩」があって成り立つと言えます。私が今日までいのちをいただき生活しているのは、どれだけの「恩」をいだいているかを知ることでしょう。親や家族、地域や職場、自分の生活を支えている様々な方の「恩」、また、毎日、食事となっている様々な「いのち」の「恩」も感じずにはいられません。

 本堂に静かに座りご本尊を前にするとき、恩に報いということ以前に、「忘恩」の我が身であることが報(しら)されます。そして「忘恩」の我が身が、今日も阿弥陀様のご恩によって生かされている事実に、ただ念仏を称える以外にないのです。・・南無阿弥陀仏・・