令和6年1月のご挨拶

「いのちの重み」

 あけましておめでとうございます。平素はご門徒の皆様方に大変お世話になりありがとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。

 さて、昨年は皆様にとってどのような一年でしたか。世界情勢を見るとウクライナでの戦争が継続される中で、中東ではイスラエルとパレスチナとの紛争が始まり、現在でも終結が見通せない状況です。両地区では毎日戦闘により多くの人々が負傷し死亡しています。その多くは戦闘員以外の民間人が被害を受けているのです。ニュ-スに流される光景は建物が破壊され、人々が逃げ惑っている姿です。そこには敵味方、また民族や歴史、文化の違いはあっても、同じいのちを生きている者同士といういのちの平等性が見出されないのです。同じ人間であるという視点を持たない限り、戦争を止めることはできないのでしょう。

 その意味では現在ほどいのちが軽んじられている状況はないのではないでしょうか。人権の尊重といいますが、最も尊重していない状態が「戦争」でしょう。それはいのちを奪い、家屋を奪い、家族を奪い、食料を奪う(与えない)状況が示しています。

 仏教の基本は「不殺生」です。すべての命を奪うことを戒めています。しかし一方では、私達は食物として多くのいのちを奪い続けているのです。私のいのちは自分一人のものではありません。先祖からのいのちを受け継いだものであり、また毎日多くの支えにより生かされているいるいのちです。

 カレンダ-の表紙に「今日という日はたったの一日 賜りもののいのち輝け」と記されています。いのちが輝くとはどんなことでしょう。私にまでいのちを運んでくださっている方々のはたらきに出遇い直すということでしょう。その方々の存在の大きさに気付いた時、本当のいのちの重みが感じられ、いのちが輝くと思うのです。

 阿弥陀様の眼からは、私達の姿はどのように映っているのでしょうか。いのちを軽んじ、互いに争いを繰り返す私達に対して、「大悲の心」をもって本来の人間として生き方を願われているのでしょう。

   お念仏を申す時、賜りもののいのちであり、賜りものの一日であることに気付かされます。