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同朋会一日研修会に行ってきました

 9月27日(日)の秋晴れのもと、同朋会一日研修会を実施いたしました。毎年この時期にバスを使っての研修を行っています。一昨年は福井の真宗出雲路派本山・毫摂寺、昨年は京都の西本願寺へ参拝をしました。今回は三重県にある真宗高田派の本山・専修寺へ行きました。行程は下記のとおりです。

  8:00出発 琵琶湖大橋 9:20栗東IC 10:30芸能IC

  10:45~12:15高田派本山専修寺 12:40~13:40昼食(関町) 14:20長島IC

  14:30~16:00輪中の郷 16:10長島IC 17:40栗東IC 19:00藁園着

まず驚いたのは境内の広さです。三万坪の境内という説明がありましたが、広々としており、御影堂、如来堂ともに重要文化財に指定されている立派なお堂でした。

 高田派の原点は、親鸞聖人が関東での布教活動を行うなかで、門弟の真仏を中心として形成された栃木県下野地方の高田門徒が始まりです。現在では下野高田の専修寺は、本寺専修寺・高田派本寺として位置づけられています。今回訪問した専修寺には、特に親鸞聖人のお手紙や真筆の和讃本などが存在し、真宗門徒としては親鸞聖人を身近に感じることができました。残念ながら宝物館で展示してある書物等は、全てがレプリカでありましたが、正確に複製されたものであり、親鸞聖人の筆跡を感じることができました。写真の和讃本には、親鸞聖人自ら左仮名を加えられ、和讃の意味をお示しになっています。

 午後からは「輪中の里」で、長島一向一揆について学びました。輪中での生活の苦労と信仰の篤さを感じました。また、「伊勢湾台風での水害」特別展が行われており、写真パネルを見るたびに、茨城県での鬼怒川氾濫の水害を思い起こし、被災された方々へのお見舞いの気持ちでいっぱいでした。

 来年も、同朋会の研修を計画したく考えています。御門徒の参加をお待ちしております。

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平成27年9月のご挨拶

高島秋講は8月27日に開筵し、31日に満講を迎え無事に終了することができました。期間中には多くの方々に参詣を賜り感謝とともに、大きな感動をいただきました。また、当寺の総代さんをはじめ役員の方々には、準備から後片付けに至るまで献身的に働いて下さり、ただただ頭が下がるばかりです。改めて役員の皆様方に感謝を申し上げます。

 いま、高島秋講を終えて、会所住職として責任を果たすことができた安堵感と、得がたいご縁に遇わせていただけた喜びと、深い感動をいただいております。延べ約2300人がお参り下さり、本堂いっぱいのお参りに圧倒され驚いておりました。たくさんの僧侶・門徒・寺族の方々が足を運んで下さったのです。それは、御門徒さん同士のつながり、住職さん同士のつながり、お寺と門徒さんとのつながりが、今回の高島秋講にご縁を結んでいただいたと感じています。高島秋講を受け継いで下さった先人の願いや、その願いを受け止め足を運んで下さった参詣者の皆様に頭が下がるのです。毎日の生活で損得ばかりを振り回して生きている私が、損得を超えて仏法聴聞される参詣者のお姿に触れると、ただ「仏法不思議」といただく以外にないのです。参詣された一人ひとりを動かす「はたらき」、役員さんを始め一人ひとりがお役をいただく「はたらき」を考えると、「仏法不思議」と思うのです。そして、期間中の暑い日、大雨の日がありましたが、その中を参詣して下さったことに、ただただ頭が下がるのです。「尊い」ということがはじめて分かったのです。法語には次のことばがあります。

  拝まれる人は尊いが、拝む人はなお尊い

 写真は境内のサルスベリの花です。秋講の期間中、きれいな花を咲かせてくれました。長期間花をつけるために「百日紅」とも呼ばれています。毎年このサルスベリが花をつける頃、高島市内のお寺で高島秋講が開催されています。来年のサルスベリの花を楽しみに待つと同時に、高島秋講のご縁をいただき、御門徒の方々と共に、仏法聴聞の花を咲かせたいものです。
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秋講最終日

先ほど午後9時15分に今年度の高島秋講は終了しました。

講義と法話をなさった織田先生の「自分のいのちは自分ひとりのものではなく、みんなに支えられているものだ」というお言葉、閉講式における当寺住職の「秋講はわたしひとりの働きでは成り立たず、皆様に支えられていることを実感しました」という挨拶が強く印象に残りました。

多くの方々の献身的なお勤めにより、何事もなく盛況のうちに秋講を終えることができました。皆様に厚く御礼申し上げます。(若院)

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秋講3日目・4日目

高島秋講は4日目に突入しています。

昨日(3日目)は、東本願寺第19代法主・乘如上人の御影を当寺にお迎えし、上人の御祥月法要を催しました。この法要は、第20代法主・達如上人が先代の御影を秋講へ下付されたことを契機として始まったもので、秋講のハイライトの一つになっています。約40名の御院さんが一同に集って無量寿経を唱え、本堂は厳粛な空気に包まれました。

また、昨日と今日は休日ということもあり、大変多くの方にお参りいただいております。本堂内に椅子200脚・座布団50枚ほどを用意したのですが、すぐに満席になってしまいました。暑いなかテントの下で聴聞された方には、深くお詫び申し上げます。

明日、秋講は最終日を迎えます。皆様と御縁を結べることを楽しみにしております。

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秋講2日目

高島秋講2日目を迎えました。

前日に引き続き、午前の講義では「浄土真宗の大乗性」について、午後の法話では「親鸞聖人の学び方」について、織田顕祐先生が明快なお話をしてくださいました。また、法話では120名を優に超える方々にお参り頂き、本堂に人が入りきれないほどでした。冷房設備があるとはいえ、お参りの際には暑さ対策を十分になさっていただきく存じます。

明日は、講義や法話とともに御祥月法要が開かれます。

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高島秋講がはじまりました

ご門徒の皆様、お寺の関係者の皆様、そして周辺地域の方々のご尽力のもと、本日朝9時半より高島秋講がはじまりました。

気温がぐんぐんと上がるなか、午前中だけで100名近くの方にご参集いただき、本堂は熱気に包まれました(ただし本堂にはクーラーが完備されています)。開講の挨拶の後、同朋合唱団の合唱を導きとして真宗宗歌を歌いました。また、10時からは大谷大学教授・織田顕祐先生をお招きし、「大乗仏教としての浄土真宗―如来回向と衆生の信―」と題した講義を行っていただきました。午後と夜間におきましては、織田先生が法話をなされる予定です。

秋講は今日から全5日間の日程で開催されます。どなた様も自由にお参り頂けます。皆様のご来訪を心からお待ちしています。

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秋講をお迎えする準備が進んでいます

ご門徒の皆様のご尽力のもと、高島秋講の準備が整いつつあります。

昨日は、深溝のご門徒の方が中心になって心を込めて境内や庭を掃除していただきました。今日は、同朋会の皆様が中心になって細やかな気配りのもと本堂等の整備や清掃を行っていただきました。このような形で、ご門徒とともに一丸となって秋講をお迎えできることを心から嬉しく思います。

写真のように、夜間には提灯に火が灯り、安心してお参りいただけます。

高島秋講は、即得寺を会所として今月27日(木)から31日(月)まで開かれます。

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平成27年8月のご挨拶

いよいよ高島秋講まで一ヶ月をきり、何か気持ちばかりが落ち着かない毎日です。天候についても、連日の猛暑で体のやり場を求め、もてあましている状況です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 お寺では、7月28日に和讃講(子ども会)の仕上げ(終了日)を迎え、たくさんの子どもたちと昼食を共にしました。その様子はHPに掲載しましたとおり、みんなで「食前・食後のことば」を唱和し食事をいただきました。食ということは我々によって大変大切なことであり、食を通じて「いのち」を学ぶことができると考えます。 

 今回の写真は何の花だか分かりますか。これは、畑で栽培している「オクラ」の花です。よくみると、小さい「オクラ」が実をつけています。今年の春から、少し時間ができましたので、野菜作りに挑戦しています。この「オクラ」はホームセンターで苗を購入したのものです。栽培すると新しい発見がたくさんあります。まず、「オクラの実」は天に向かって実をつけるということです。スーパーで売っているときはどんな木に実をつけているのか。どんな花が咲くかなんて、教えてくれません。

 畑で栽培すると、野菜の成長について改めて 教えられるのです。また、どんな野菜でも、花を咲かせ実をつけるということです。畑で栽培していると、「この野菜は俺が作ったんだぞー」という思いが湧いてきますが、収穫だけでなく、一つ一つの野菜の変化を目にすると、「いのちの不思議」を感じるのです。

 相田みつをさんの詩集にこんなことが書いてありました。

  自己顕示

   『この花はおれが 咲かせたんだ』

  土の中の肥料は そんな自己顕示をしない

  おれのような

 食材として野菜をいただくときも、栽培して実った野菜を収穫するときも、野菜の方が私たちに「手を合わせる心を持っていますか。」と問いかけてくれています。

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南無阿弥陀仏の主になるなり

蓮如上人御一代記聞書には

弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主に成るというは、信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なりと云々

と書かれています。

 蓮如上人は、誰でも阿弥陀如来の心を頂くことができれば、人生の主人公として生きることが出来ますと述べたものです。

 さて、「自分の人生の主人公は誰でしょうか。」という問いを持つと、そんなことは分かりきっている。「自分」だと答えるでしょう。しかし、「主人公」ということは、演劇や映画のヒーローのように、活躍し注目を浴びると言うことではないのです。主人公というと、すぐに世間から注目されたいとか、目立ちたいと考える人が多いかもしれません。蓮如上人の示される、「人生の主人公」とはどんなことでしょうか。

 よく言われることは、私たちは「誰にも変わってもらうことができない人生を生きている」ということです。私の代わりに「食事をする」「トイレに行く」「病院へ行く」など、根本的には、他の人に変わってもらうことが出来ないのです。どんなに都合が悪いときでも、自分に与えられた「課題」は自分が引き受けなければならないのです。

 私たち一人ひとりに、『この人生を、「主体的」に生きてほしい。』と願って下さっているのが、阿弥陀如来様なのです。この人生こそ自分に与えられた人生であると頷いたとき、自分の人生を歩む人となれるのです。

 法語には、「人生はやり直すことが出来ないが、見直すことが出来る」とあります。毎日の生活に振り回されていて、本当の人生の意味に出遇うことがなければ、悲しいことだと思います。

 家庭生活や職場、地域社会を通じて自分に降りかかる「課題」を解決することにかかり果てているのが、私たちの生活です。一方で、この人生では思わぬことに遭遇します。事故や災害に出遇うこともあるでしょう。生きておれば、楽しいことや嬉しいことにも出遇います。また、悲しいことや苦しいことにも出遇います。そして毎日の様々な「課題」に埋没していると、出来るだけ苦労を避け、楽な方を求めてしまうのです。しかし人生の目的は「楽を手に入れる」ことではないのでしょう。むしろ苦労を通して、本当の生き方や関わり方を学ぶのだと考えます。

 お念仏を忘れているあいだは、「課題」にいくら向き合っていても、自分の思い通りにしたいとばかり思い、なかなか上手くできないのです。

 お念仏を称えると、大切なことが見えてきます。「課題」を通じて自分の心が見えてくるのです。うわべだけの「解決」に奔走し、本当の「課題」に向き合っていないのが私です。一つひとつの「課題」は如来から頂いた呼びかけです。この「課題」に出遇わなかったら、大切なことが分からなかった。この「課題」に出遇ったからこそ、今日の私がいるのである。といただきたいものです。

(即得寺だより No.53)

大谷大学公開講座のご案内

 大谷大学では、毎年7月から9月の大学の長期休暇にあわせて、「夏季八十講」という事業名で全国の80の地域で大学の先生の公開講座が実施されています。今年度は、即得寺を会場として現代的な課題である「子育てについて」御講演を頂きます。

 現在子育て中のお父さんやお母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんも学んでいただき、人を育てるということ、自分がどのように育てばいいのかを考えていきたく思います。是非ご参加下さい。

 日時 8月8日(土) 午後2時~4時

 場所 即得寺・本堂

 講師 大谷大学准教授 富岡量秀先生

※質問や相談の時間も取りたいと思っています。どなた様も自由にご参加頂けます。