先ほど午後9時15分に今年度の高島秋講は終了しました。
講義と法話をなさった織田先生の「自分のいのちは自分ひとりのものではなく、みんなに支えられているものだ」というお言葉、閉講式における当寺住職の「秋講はわたしひとりの働きでは成り立たず、皆様に支えられていることを実感しました」という挨拶が強く印象に残りました。
多くの方々の献身的なお勤めにより、何事もなく盛況のうちに秋講を終えることができました。皆様に厚く御礼申し上げます。(若院)
高島秋講は4日目に突入しています。
昨日(3日目)は、東本願寺第19代法主・乘如上人の御影を当寺にお迎えし、上人の御祥月法要を催しました。この法要は、第20代法主・達如上人が先代の御影を秋講へ下付されたことを契機として始まったもので、秋講のハイライトの一つになっています。約40名の御院さんが一同に集って無量寿経を唱え、本堂は厳粛な空気に包まれました。
また、昨日と今日は休日ということもあり、大変多くの方にお参りいただいております。本堂内に椅子200脚・座布団50枚ほどを用意したのですが、すぐに満席になってしまいました。暑いなかテントの下で聴聞された方には、深くお詫び申し上げます。
明日、秋講は最終日を迎えます。皆様と御縁を結べることを楽しみにしております。
ご門徒の皆様、お寺の関係者の皆様、そして周辺地域の方々のご尽力のもと、本日朝9時半より高島秋講がはじまりました。
気温がぐんぐんと上がるなか、午前中だけで100名近くの方にご参集いただき、本堂は熱気に包まれました(ただし本堂にはクーラーが完備されています)。開講の挨拶の後、同朋合唱団の合唱を導きとして真宗宗歌を歌いました。また、10時からは大谷大学教授・織田顕祐先生をお招きし、「大乗仏教としての浄土真宗―如来回向と衆生の信―」と題した講義を行っていただきました。午後と夜間におきましては、織田先生が法話をなされる予定です。
秋講は今日から全5日間の日程で開催されます。どなた様も自由にお参り頂けます。皆様のご来訪を心からお待ちしています。
いよいよ高島秋講まで一ヶ月をきり、何か気持ちばかりが落ち着かない毎日です。天候についても、連日の猛暑で体のやり場を求め、もてあましている状況です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
お寺では、7月28日に和讃講(子ども会)の仕上げ(終了日)を迎え、たくさんの子どもたちと昼食を共にしました。その様子はHPに掲載しましたとおり、みんなで「食前・食後のことば」を唱和し食事をいただきました。食ということは我々によって大変大切なことであり、食を通じて「いのち」を学ぶことができると考えます。
今回の写真は何の花だか分かりますか。これは、畑で栽培している「オクラ」の花です。よくみると、小さい「オクラ」が実をつけています。今年の春から、少し時間ができましたので、野菜作りに挑戦しています。この「オクラ」はホームセンターで苗を購入したのものです。栽培すると新しい発見がたくさんあります。まず、「オクラの実」は天に向かって実をつけるということです。スーパーで売っているときはどんな木に実をつけているのか。どんな花が咲くかなんて、教えてくれません。
畑で栽培すると、野菜の成長について改めて 教えられるのです。また、どんな野菜でも、花を咲かせ実をつけるということです。畑で栽培していると、「この野菜は俺が作ったんだぞー」という思いが湧いてきますが、収穫だけでなく、一つ一つの野菜の変化を目にすると、「いのちの不思議」を感じるのです。
相田みつをさんの詩集にこんなことが書いてありました。
自己顕示
『この花はおれが 咲かせたんだ』
土の中の肥料は そんな自己顕示をしない
おれのような
食材として野菜をいただくときも、栽培して実った野菜を収穫するときも、野菜の方が私たちに「手を合わせる心を持っていますか。」と問いかけてくれています。
蓮如上人御一代記聞書には
弥陀をたのめば、南無阿弥陀仏の主になるなり。南無阿弥陀仏の主に成るというは、信心をうることなりと云々。また、当流の真実の宝と云うは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なりと云々。
と書かれています。
蓮如上人は、誰でも阿弥陀如来の心を頂くことができれば、人生の主人公として生きることが出来ますと述べたものです。
さて、「自分の人生の主人公は誰でしょうか。」という問いを持つと、そんなことは分かりきっている。「自分」だと答えるでしょう。しかし、「主人公」ということは、演劇や映画のヒーローのように、活躍し注目を浴びると言うことではないのです。主人公というと、すぐに世間から注目されたいとか、目立ちたいと考える人が多いかもしれません。蓮如上人の示される、「人生の主人公」とはどんなことでしょうか。
よく言われることは、私たちは「誰にも変わってもらうことができない人生を生きている」ということです。私の代わりに「食事をする」「トイレに行く」「病院へ行く」など、根本的には、他の人に変わってもらうことが出来ないのです。どんなに都合が悪いときでも、自分に与えられた「課題」は自分が引き受けなければならないのです。
私たち一人ひとりに、『この人生を、「主体的」に生きてほしい。』と願って下さっているのが、阿弥陀如来様なのです。この人生こそ自分に与えられた人生であると頷いたとき、自分の人生を歩む人となれるのです。
法語には、「人生はやり直すことが出来ないが、見直すことが出来る」とあります。毎日の生活に振り回されていて、本当の人生の意味に出遇うことがなければ、悲しいことだと思います。
家庭生活や職場、地域社会を通じて自分に降りかかる「課題」を解決することにかかり果てているのが、私たちの生活です。一方で、この人生では思わぬことに遭遇します。事故や災害に出遇うこともあるでしょう。生きておれば、楽しいことや嬉しいことにも出遇います。また、悲しいことや苦しいことにも出遇います。そして毎日の様々な「課題」に埋没していると、出来るだけ苦労を避け、楽な方を求めてしまうのです。しかし人生の目的は「楽を手に入れる」ことではないのでしょう。むしろ苦労を通して、本当の生き方や関わり方を学ぶのだと考えます。
お念仏を忘れているあいだは、「課題」にいくら向き合っていても、自分の思い通りにしたいとばかり思い、なかなか上手くできないのです。
お念仏を称えると、大切なことが見えてきます。「課題」を通じて自分の心が見えてくるのです。うわべだけの「解決」に奔走し、本当の「課題」に向き合っていないのが私です。一つひとつの「課題」は如来から頂いた呼びかけです。この「課題」に出遇わなかったら、大切なことが分からなかった。この「課題」に出遇ったからこそ、今日の私がいるのである。といただきたいものです。
(即得寺だより No.53)
大谷大学では、毎年7月から9月の大学の長期休暇にあわせて、「夏季八十講」という事業名で全国の80の地域で大学の先生の公開講座が実施されています。今年度は、即得寺を会場として現代的な課題である「子育てについて」御講演を頂きます。
現在子育て中のお父さんやお母さん、お爺ちゃん、お婆ちゃんも学んでいただき、人を育てるということ、自分がどのように育てばいいのかを考えていきたく思います。是非ご参加下さい。
日時 8月8日(土) 午後2時~4時
場所 即得寺・本堂
講師 大谷大学准教授 富岡量秀先生
※質問や相談の時間も取りたいと思っています。どなた様も自由にご参加頂けます。
今年も夏休みが近づいてきました。例年のように小学生を対象に『和讃講』を行います。早朝の涼しい本堂で大勢のお友達と共に大きな声で「正信偈・和讃」を練習し、学習や宿題の時間を持ちたいと思います。お子様方が元気に本堂に集まれるように、おすすめ下さい。
『和讃講』の日程については下記のとおりです。
記
日程 7月21日(火)から7月28日(火)まで
時間 朝7時45分~9時まで ただし28日(火)は昼食会のため、11時から
持ち物 正信偈の本・念珠・夏の宿題・筆記具
ご本山での研修は、8月19日~21日(2泊3日)を予定しています。お楽しみに!
七月を迎え、住職の私としては、いよいよ高島秋講が近づいてきたなぁと感じております。さて、この新旭町は豊かな水の恵みで有名です。皆さんも「かばた」といえば、新旭町のことを思い出されるでしょう。現在は針江地区の取り組みが有名ですが、藁園や深溝地区でも古くからどの家庭でも「かばた」がありました。
先日、即得寺の北側の庭を高島市鴨の中村石材店さんにお願いして、改修をしました。飛び石を配置して頂き、水鉢を設置して頂きました。石屋さんの丁寧な仕事に頭が下がります。この水鉢は蓮の葉をイメージして彫って下さったもので水に濡れると緑色に変色します。水の豊かな藁園で、この水も地下水であり、自然に湧き上がっています。
水は、途切れることなく流れ続け、私たち「いのち」あるものには無くてはならないものです。しかしその有り難さを普段はあまり感じないのです。「泉のごとく仏法が湧き出る」という言葉があります。毎日たくさんの水を使用していますがなかなか有り難さが分からないのが私たちです。
水は様々に形を変えますが、親鸞聖人は「高僧和讃・曇鸞和讃」で次のように示されています。
無碍光の利益より
威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこおりとけ
すなわち菩提のみずとなる
罪障功徳の体となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし
普段忘れている水の働きを通じて、仏法の働きに出遇うことが願われます。