即得寺では平成7年に仏教賛歌を歌う、合唱団を結成しました。今年で21年目を迎えております。現在は、指揮者に奈良龍一先生をお迎えし、33人の団員が楽しく歌っています。
是非、皆さんとともにお念仏の歌や感動のある歌を歌いたいものです。声を合わせ、ハーモニーと同朋の輪を広げましょう。
新しい会員さんの入会を歓迎します。是非入会下さいますよう、お待ちしております。
日時:毎月1回 上旬の火曜日 夜8時~9時30分
場所:即得寺本堂
即得寺では平成7年に仏教賛歌を歌う、合唱団を結成しました。今年で21年目を迎えております。現在は、指揮者に奈良龍一先生をお迎えし、33人の団員が楽しく歌っています。
是非、皆さんとともにお念仏の歌や感動のある歌を歌いたいものです。声を合わせ、ハーモニーと同朋の輪を広げましょう。
新しい会員さんの入会を歓迎します。是非入会下さいますよう、お待ちしております。
日時:毎月1回 上旬の火曜日 夜8時~9時30分
場所:即得寺本堂
天気予報では今年の冬は暖冬という予想でしたが、先日1月末に寒波が到来し日本列島に大雪をもたらしました。皆さんのお住まいの地域はどうでしたか。北海道や北陸では雪は珍しくありませんが、今回は観測史上初となる沖縄本島でもみぞれが降ったということです。テレビに映し出された沖縄の方が、雪に感激し喜んでいる様子が映し出されていました。私は今年は雪が降らないのかと思っていましたが、ついに降るべきものが降ったという気持ちです。早速、25日の朝に新しく就任いただいた総代さんがスコップ持参で雪開けをして下さいました。一人ではなかなかはかどらない雪開けも、総代さんのお陰で10分足らずできれいに除雪していただきました。写真は今回の境内の様子です。現在は溶けて雪はありません。
今回の寒波については、早くから天気予報で大雪注意報や大雪警報が出され、心の準備は十分でした。そのため、あれだけテレビで放送されていた割には、たいしたことなかったと感じるのです。実際に朝起きてみて境内を眺めると20㎝程度の雪が積もっていたのですが、少なく感じまる自分がいるのです。
また雪と聞くと、ついつい邪魔もの扱いをしてしまいます。ニュースでも各地で雪のために混乱している様子が報道されています。厄介ものの雪というイメージが強いのですが、自然のサイクルが成り立つためには雪は欠かせないものだと思います。
雪だけでなく様々なものを、私たちは自分の都合で厄介もの扱いをしているのではないでしょうか。厄介ものとは自分の考えに合わず、手数のかかること、面倒なこと、迷惑なことを言います。しかし、雪国では雪を厄介ものにせず、雪と共存し雪を利用する生活があります。厄介のものだと思っている雪から、私たちは様々な恩恵を受けていることを知ることも大切なことではないでしょうか。
私たちにどこまでも寄り添う如来の本願は、「選ばず、嫌わず、見捨てず」という心です。一方、私たちは、何でも自分に都合の良いように「選び、嫌い、見捨てて」生きていこうとしているのです。親鸞聖人の教えは、如来の本願に出遇って、そんな自分のあり様が問われる教えです。「選び、嫌い、見捨てている」生き方では、せっかくの雪を楽しめず、冬を感じることができないのでしょう。私の本音は、「もうこれぐらいで雪は十分」という思いがありますが、雪は私の思いとは関係が無く、自然の法則に従って降っていることを知らされます。
皆さんのお宅の「日めくり法語カレンダー」は活躍?しているでしょうか。たかが「日めくり」と思っていても、一ヶ月毎日忘れずにめくることがなかなか大変です。時間が無いとは言わせません。カレンダーをめくる手間は五秒とかかりません。しかし、どんな簡単なことでも、毎日続けることができない私であることがこのカレンダーを通じて知らされるのです。我が家のカレンダーは、気がついてみると二日ほど経過し、慌ててめくっています。
法語の素晴らしさは、仏法の教えを、短い言葉として伝えられているところです。このカレンダーを繰っていると、はっとさせられる言葉に出会い、また法語に頷いている自分に出遇うのです。私たちは他の動物と異なり、言葉を持っています。人間の優れているところは言葉を用いて、物事を相手に伝えることができるということです。しかし、現実には言葉があるために、相手に上手く伝えることができないということが起こっています。
国と国の問題であっても、会社と会社の関係であっても、隣近所の関係であっても、原点は人と人との関係であるはずです。国の問題や会社の問題、我々の生活の課題を解決する方法は様々ですが、課題の原因を相手に求めていることが多いのではないでしょうか。真実に立てば、どんな課題も自分と無関係なことはなく、解決の糸口は自分の内にあるということが知らされます。
法語カレンダーには次の言葉があります。
道は近きにあり
迷える人は
これを遠きに求む
仏法は、言葉となって私のあり方を問うているのです。
そして、「南無阿弥陀仏」という言葉を頂くと、損得や勝ち負けを振り回している私に、「本当に解決すべき問題はあなた自身ではありませんか」という呼び声となって届くのです。一日一日が法語との出会いであり、自分との出遇いであるのです。
平成二十八年度の世話方様は次のとおりです。色々とお世話になりますが、よろしくお願いします。
(敬称略)
藁園 新町1組 清水 克己
2組 大原 嘉雄
3組 川内 清利
旭町1組 大原 洋子
2組 松井 健二
3組 松井 正道
4組 一井 清司
光町1組 兼子 健
2組 兼子 博司
3組 前川 健士
栄町1組 本庄 浩
2組 兼子 敏雄
深溝 藤本 良明
伊庭 久繁
小池 田中 章
下司 和之
新庄 鳥居 武
森 河口 純一
安北 山川 治
平成二十八年度の総代様は次のとおりです。色々とお世話になりますが、よろしくお願いします。
(敬称略)
総代(任期:平成28年1月~30年1月)
藁園新町 大江 太喜博
旭町 大江 信行
旭町 清水 良夫
光町 本庄 勝
栄町 中村 惠一
深溝 饗庭 長司
他所・森 清水 源三郎
女性総代(任期:平成28年1月~30年1月)
藁園 桂田 松枝
藁園 澤辺 満恵
藁園 本庄 廣子
藁園 木下 八重子
あけましておめでとうございます。昨年は皆様には何かとお世話になり、感謝申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。
昨年は皆様にとってどのような一年であったのでしょう。私にとっては、平成二十七年という年は生涯忘れられない年になりました。三月には若院を迎え、入寺法要を勤めることができました。また八月には高島秋講の会所として、五日間の法要を勤めさせていただきました。たまたまご縁があってこれらの出来事に出遇うことができたのですが、それらの出来事をどのように受け取るかが問われていると感じます。偶然と受け取るか、必然として頷くかは、私の「生き方」において根本的な違いがあるのです。皆様にとっては、様々な出来事にお遇いになった一年であったと思われます。良い事もあり、大変な事もあり、楽しい事もあり、苦しい事もありの一年であったのでしょう。その全ての出来事が実は必然の出遇いであったのです。必然であると頷いたときに、出来事に対しての私の「生き方」が定まるとおもいます。
さて、「蓮如上人御一代記聞書」という書物があり、その第一条には弟子の道徳(73歳)に蓮如上人(79歳)がお正月の挨拶をする様子が記されています。明応二年(1493年)の正月に京都の勧修寺村の道徳が、山科本願寺へ年頭の御礼に参詣をしました。老体の道徳を前にして、蓮如上人は唐突に歳を尋ねて無常を思い知らせ、念仏を申しているかを尋ねられたのです。年齢を重ねるということは、若いときには感じられなかった事実に気づき、自分の人生の上で本当に尊い事「本尊」に出遇う事であるのです。弟子の道徳は、毎日念仏の生活をされていたのですが、73歳という年を迎えるにあたり改めて「念仏を申す身となっているか」を問われたのです。南無阿弥陀仏と称えるという事は、偶然の日暮らしが、必然の日暮らしに転換され、損得を超えて「本当に尊いこと」に出遇うことです。
写真は即得寺の本堂です。遠方の方は足をお運びいただくことは出来ないかもしれませんが、「お内仏」で手を合わせ念仏の声とともに新年をお迎え下さい。新年を迎えるということは修正会の案内にありますように、人生の方向を定め、軌道修正をすることが問われているのです。
今年一年、皆様に取りまして仏法との出遇いの年になることを念願しております。
平成28年度の年回表は元日に本堂に掲示いたします。今年度の年忌法要については次の通りです。
1周忌・・・平成27年没 3回忌・・・平成26年没
7回忌・・・平成22年没 13回忌・・・平成16年没
17回忌・・・平成12年没 25回忌・・・平成4年没
33回忌・・・昭和59年没 50回忌・・・昭和42年没
100回忌・・・大正6年没
遠方の方で、亡き方の年忌についてご確認されたい方は、お命日と法名を伝えていただければ、お調べできます。また、年忌法要を勤められる場合は、御希望の期日を早めにお知らせ下されば日程を調整することが出来ます。
12月に入り、報恩講をお迎えする時期となり、私は時間に追われる生活をしておりました。今年度の報恩講は、5日に始まり7日の御満座をもって無事にお勤めすることが出来ました。総代さんはじめ御門徒の皆様のご協力に、改めて感謝を申し上げます。
「報恩講」とは、日頃の私自身のあり方を見直す機会です。本堂に身を置き、如来様の前に座らせてもらうと、自分自身が映し出されるのです。どこまでも自己を中心とし、つまらないことにこだわり(しかしこだわっている時はつまらないことだとは分からない)自分の我欲を振り回しているのです。なんと「お粗末な自分であるか」が知らされるのです。私たちは、自分の思い通りになって「当たり前」と考えて生活をしています。そのため、「思い通り」にならないことが起こると、そのことを受け入れることができず、不安になったり、怒りをぶちまけたりするのです。
私事ですが11月末から風邪を引き喉の調子が悪く、11月29日には声が出なくなってしまいました。ある方の「お通夜」のお勤めに行きましたが、「正信偈」を読もうとしますが「声」が出ません。本当に辛い思いをしました。ありがたかったのは、通夜に参列された方々が一生懸命に「正信偈」を読んで下さり、声の出ない私を助けて下さったことです。その後、声も徐々に出るようになり、報恩講を勤めることができました。今回の「報恩講」を通じて感じたことは、「当たり前」と感じていることが、実は「当たり前」ではなかったということです。特に私は、「声」が出て「当たり前」と考えていました。しかし今回、声が出ないという事態に見舞われ、辛い思いをしたと同時に、声が出ることの有り難さを身をもって教えられました。年に一度の「報恩講」は、「当たり前でなかった」事実に気づかせていただく機縁なのです。気づいたときに、私自身が初めて「感謝」という心を頂けるようなるに思うのです。
お寺では毎日(土日以外)朝6時30分に大鐘を撞いています。最近では東の空が少し明るくなっています。しーんと冷えた空気の中に、大鐘の音が「ゴーン」と鳴り響いています。この大鐘の音を耳を澄まして聞いて下さい。「ゴーン」「ご~ん」「ごぉ~ん」「ごおーん」「御~恩」「御恩」と響いているのですね。
大鐘は、「御恩」に気づけない私に大鐘の響きとなって問いかけてくれています。
この写真は輪灯と燭台(鶴亀)の写真です。
今年度の報恩講をお迎えするために、11月30日に即得寺で「お磨き」を行いました。朝8時30分より光華法話会と十四日講の会員の皆さんにお集まりいただきました。皆さんのご協力により、全ての仏具をピカピカに磨いていただきました。
「お磨き」は年間2回実施しております。8月のお盆前に行って以来4ヶ月ぶりの「お磨き」です。薬品を付けて磨きますと、布が真っ黒になります。普段あまり汚れが分かりませんが、4ヶ月の間に知らず知らず仏具が汚れていたのです。「お磨き」に参加して下さった方が「本当にきれいになりました。仏具がきれいになると気持ちが良くなります」と話されていました。
「お磨き」は仏具の汚れを取り除く作業ですが、実は「お磨き」をとおして私自身の心の汚れに気づかせていただくことが大切ではないかと感じています。仏具は薬品で磨けますが、私の心の汚れは仏様の心に触れ、念仏をいただくことにより知ることが出来るのです。どうぞ報恩講にお参りして、心の「お磨き」をして下さい。
立冬を迎えましたが暖かい日が続いています。皆様におかれましては、御法悦の毎日をお過ごしのことと存じます。
皆さんの所に同朋新聞等を毎月送付させて頂き、この送付文を書いていると、季節の移り変わりを実感できるようになりました。この文はワープロで書いているため、先回の文に上書きして作成しています。そのため、先回の文章を読みながら、今の季節への移り変わりを実感しています。一ヶ月という時間が経過し、その時間だけ確実に季節が進んでいるんだなぁと感じるのです。また、その時間を自分自身がどのように過ごしたかが改めて問われるのです。私の場合は、「本当に何もしないうちに、また一ヶ月が過ぎてしまった」と感じています。その反面「お陰さまで、この一ヶ月を過ごさせて頂いた」ことに気づかせて頂いているのです。私たちは物事に追われ、その結果「あれも出来ていない。これも出来ていない」という毎日を送ることになります。しかし、この一月何もしなかったのかと問われると、ずいぶんいろいろなことが出来ているものです。仏法に出遇うと、出来ていないことを歎くよりは、出来たことを喜ぶべきなのです。振り返ってみると、一ヶ月前には出来ていなかったことが、時の経過ととも願いにつつまれ、いろいろと成し遂げられているのです。何よりも、この私自身が、まったく新しい一ヶ月を生かさせて頂けたという事実に気づくのです。
先日、ホームセンターに買い物に行くと店頭にきれいな花が並んでいました。私は花の名前をよく知らないのですが、「プリムラ・ポリアンサ」と書いてあり、六株購入しプランターに植えました。これから花の少ない季節に向かうのでちょうど良いと思って、玄関に飾りました。
阿弥陀経には「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉があります。どの花も精一杯自分の色を咲かせているように、私たちも、年齢や性別、顔かたちは異なりますが、自分の色を精一杯咲かせたいものです。他と比較せず、自分という色を精一杯咲かせたときが、自分自身の一番輝くときだと感じました。
先月は、この「プリムラ・ポリアンサ」に出会え、植え付けを行えたことが喜びです。このお花とともに私自身も育ちたいものです。