お知らせ&即得寺だより」カテゴリーアーカイブ

秋の彼岸会をお勤めしました

    令和3年9月23日 午後2時より門徒の皆様とともに彼岸会をお勤めしました。例年は夜の法座もありましたが、新型コロナの感染防止のため一座だけの法要としました。

住職・若院のお勤めの後、住職より法話をいたしました。テ-マ「大悲の願い」について、住職の感じるままに50分程度お話をしました。私たちは悲しみと隣り合わせの生活をしています。自分自身が生活の中で抱えている「悲しみ」も大切なことだと感じます。しかし、自分の「悲しみ」を受け止め、ともに悲しんでくださる相手がいれば、私の「悲しみ」をとおして自分に出遇う契機となるのではないでしょうか。「如来の大悲」に出遇ったとき、その悲しみが悲しみのまま、「救い」となるのではないでしょうか。

如来の大きな願いに出遇うと、本当に「人」として生きているか、本当に「人」が見えているかが問わればかりです。

今回の彼岸会には、沢山の門徒の方々がお参りくださいました。ありがとうございます。

IMG_1343    IMG_1347    IMG_1352    IMG_1356

令和3年8月のご挨拶

「大切にすること」

皆様はいかがお過ごしですか。7月の梅雨明けと同時に猛暑の日々となっています。熱中症の予防とコロナの予防とで大変ですが、体調管理に努めて頂きますよう念じております。

さて、7月21日から例年通りに「和讃講」(子ども会)を行っています。朝7時45分から地域の子ども(小学生)がお寺に集まってきます。正信偈の練習の後、簡単な法話をしています。そのなかで「大切にする」とはどんなことかを話しました。話をする前に、事前に黒板にその日に話す内容を書いておきます。「大切にすること」については次のような内容で黒板に書きました。

大切にするとはどんなこと。

ものを大切にするのは、ものを使うとき、らんぼうに使わないことです。

では、自分を大切にするとは、どんなことでしょう。

それは自分の頭でしっかり考え「いま、どうしたらよいか」を判断し行動することです。

つぎに、相手の人を大切にするとはどんなことでしょう。

それは、相手の声をしっかりと聞き、相手の人となかよくすることです。

     今回、小学生に話をすることにより、「大切にする」とはどんなことかを改めて考えることができました。広辞苑では➀大いに尊重すること ②大いに愛することと示されています。今回私が感じたことは「大切にすることはどんなこと?」という問いを持つことが大切であると思います。「そんなことは分かっている」という所に立ち、問い直すことをしていないではないでしょうか。使い捨ての世の中で、「ものを大切にしましょう」と簡単に言うことはできますが、私の生活全体が本当に大切にするとはどうすることかを問いかけていると感じます。相手の人を大切にすることとは、どんなに考えが異なっても、相手を否定せずその人を尊重することだと思います。私にとって簡単なようで、実は大変難しいことが「なかよく」することだと思います。子どもたちとともに「みんななかよくいたします」と「ちかいのことば」を唱和しつつ、私たち自身、毎日 思いを新たにしています。

盂蘭盆会法要をお勤めしました

    令和3年8月16日 朝9時より門徒の皆様とともに盂蘭盆会をお勤めしました。正信偈のお勤めの後、住職より法話をいたしました。コロナ感染防止のため、座席の間隔を取り、本堂のガラス戸を解放して換気に努めました。今回からはお茶の接待の代わりにペットボトルのお茶を参拝して下さった皆様に配布いたしました。コロナの感染が拡大する不安の中で、ようこそお参り下さいました。 

IMG_1327 - コピー    IMG_1330    IMG_1329

お磨きをしました。

 8月10日の朝8時より、お盆前のお磨きをしました。参加して頂いた方は、即得寺の聞法会(十四日講)の皆さんと総代さん女性世話方さんです。今回のお磨きは昨年の12月の報恩講以来ですので、少し汚れており、磨く手に力が入りました。新型コロナの感染防止のため茶所と本堂との2カ所に分かれ実施しました。マスク越しですが、和やかなおしゃべりとともに、仏具がきれいになりました。

お磨き後は、本堂で簡単な法話の後解散しました。おみがきに参加して頂いた皆さんの顔が明るくて、仏具も心もピカピカになりました。早朝よりご参加頂きありがとうございました。

IMG_1304    IMG_1303    IMG_1311

IMG_1314    IMG_1308    IMG_1323

お盆前の大掃除をしました。

    8月8日の朝8時より、お盆前の大掃除をしました。参加して頂いた方は、即得寺の総代・藁園の世話方・女性世話方の皆さんです。新型コロナの感染が拡大や、台風の影響を心配するなかで時間を短縮して実施しました。境内の清掃はなんといっても手で拾い集めるのが一番効率的です。皆さん黙々と作業に専念して下さいました。

休憩後は本堂のガラス戸・縁の拭き掃除です。皆さんマスクをしての作業で大変でした。

最後に記念写真を撮り、解散しました。暑い中を、皆さんお疲れ様でした。おかげできれいになりました。

IMG_1290    IMG_1291    IMG_1294

IMG_1297    IMG_1299

夏休みの和讃講(子ども会)をはじめました。

 7月21日から和讃講を行っています。朝7時45分から小学生を対象に正信偈の練習とお話、学習に取り組んでいます。

今年はコロナ感染予防のため、例年行っているゲ-ムや歌は取りやめ、学習中心の充実した時間を持っています。

 早くも宿題がどんどんすすみ、サマ-ガイドやプリントの問題集が仕上がってきています。子どもたちが、元気よくお寺に来てくれることが

よろこびです。

IMG_1257  IMG_1263  IMG_1256

バラが咲きました。

 玄関にバラの鉢植えを置いています。今年は5月中旬よりバラが咲き始めました。例年より気候がやや温かいせいか、大輪の花を咲かせています。今年の冬に剪定をしたとき、少し切りすぎたと思いましたが、私の心配にはおよばず元気に育ちました。植え替えた鉢は、例年より勢いがよく、「やっぱりほったらかしではだめなんだなぁ」「手をかければこたえてくれるんだなぁ」と感じました。

    朝起きると、まず、バラさんにご挨拶して、元気な姿に安心するとともに、バラさんから元気を頂いています。どの花も精一杯咲いている姿が素晴らしいです。バラだけに「バラバラでいっしょ」なんておじさんギャグです。

IMG_1238 IMG_1245  IMG_1237


大掃除を行いました。

  5月15日(土)に「五月の大掃除」を実施しました。当日は曇り空でしたが、暑くもなく寒くもなく、天候に恵まれ作業を進めることができました。今回は、森・安北・新庄の門徒の皆様と総代、女性世話方にご参加頂きました。

8時30分の挨拶の後、境内を中心に清掃し、本堂西側の庭の掃除を行いました。10時前に女性世話方さんの接待による冷たいお茶でのどを潤しました。休憩後は皆さんが雑巾を持ち本堂の縁やガラス戸を掃除して頂きました。新型コロナ感染の影響で、なかなか外出ができず、また門徒同士の方がお互いに出会う機会が少なくなっていましたが、この大掃除ではマスクをしながら、皆さんとの会話も弾みました。写真は大掃除後に皆さんとともに記念写真を撮りました。

休日のご予定の多い中で、大掃除に参加して頂きましたご門徒の皆様に心から感謝申し上げます。

20210515_100905

令和3年5月のご挨拶

「畜生」

 一年以上経過しても新型コロナの感染は衰えるどころか、変異株が新たな感染を引き起こしています。皆様はいかがお過ごしですか。

 さて、浅田正作さんの「畜生」という詩があります。

交差点に差しかかったら  信号が黄色にかわった

ブレ-キを踏みながら  「チクショウ」と言った

あさましや  畜生は

仏法聴聞にゆく  車のなかにいた

 仏法では、「地獄・餓鬼・畜生」を三悪趣として苦しみの重さが説かれています。仏法に出遇うことによって明らかになる人間の姿が示されていると思います。その中で「畜生」とは、インドの(チィルヤンチュ)という言葉がもとで、繋がれて自由のない苦しみを表しています。宮城顗先生の本(「地獄と極楽」東本願寺出版)には畜生について「いつも他人にくっついて生きている。他人にもたれかかって生きているという在り方が畜生ということです。そのことから申しますと、畜生のもとにありますのは、人生に対する甘えでございます。人生に対して甘え、自分に対して甘えるという。そういうものが、また他人に対して一番に腹を立てている。甘えて育てられた子ほど、わがままな道理です。畜生というと、そこに争うということが出てくるのですけれども、その争いのもとにあるものは、実は甘えであります。・・・略・・・一口で言えば甘えるということですが、それは自分の要求をするばかりで、そこに本当に人に聞き、人のことを思うという、そういう心の配慮を持っていない在り方を表すものといえます。・・・略・・・ある人が〈人間の教養とは、常に相手のことを心の中に入れて考え、行為していける力をいうのである。どれだけ知識を身につけようとも、自分の周りの人のことを心の中に入れられないのは、教養がないのだ〉とおっしゃっていました。」と記されています。

 仏教に出遇うということは、私自身の「畜生」の在り方を止めるということではないのでしょう。今まで無自覚に行っていた生き方全体が、実は「畜生」と示されているそのものであったと気付かされることです。コロナ感染の中で、ウイルスを敵と見なし、ウイルスを人間の力で封じ込めることができると考えているところに実は人間の傲慢性が見えてくるのではないでしょうか。コロナは、私の差別心と懺悔心、いのちの問題、感謝の心など様々なことを問うてくれています。人間としての「教養」を失ったときに、私は「畜生」となっているのではないでしょか。

春彼岸会法要を勤修いたしました。

  3月21日に、逮夜は午後2時より、初夜は午後7時30分よりお勤めいたしました。コロナ感染が心配される中、ご門徒の皆さんがお参りくださるかを心配していましたが、写真のとおり沢山の方々が参加してくださいました。マスクを持参して頂き、本堂に入る前にアルコ-ル消毒をお願いし、ソーシャルディスタンスを確保しながらコロナ感染拡大防止に努めました。本堂では常に換気を行い、法話の休憩時間に後方のガラス戸を開放して換気を行いました。また、万が一のために参加者には御氏名連絡先を記入して頂きました。

今回は准坊守の大谷派教師補任の奉告法要を兼ねての法要で、勤行後に准坊守よりご門徒の皆様にご挨拶をさせて頂きました。准坊守は「皆様とともにお念仏をいただき、お聴聞する道を歩ませていただきたい」と決意を述べました。どうぞ皆様、お育てくださいますようお願いいたします。

今回の御法話は三重教区の藤本愛吉先生が「呼びかけに応えて」と題してお話下さいました。日常生活の中で真宗の教えに出遇うとはどのようなことかをわかりやすく教えて頂きました。印象に残った先生の言葉は「タンポポは落ちたところに花開く」です。今頂いているご縁に、しっかりと向き合いたいです。

image   image   image    image