お知らせ&即得寺だより」カテゴリーアーカイブ

彼岸前の大掃除をしました

3月16日(土)に藁園以外の世話方様と総代・女性総代の方と一緒にお彼岸前の大掃除を行いました。当日は8時30分より境内を中心に外掃除を行いました。例年より温かい日があったため、この時期ですが小さな草が芽を出しており、草取りが大変でした。以前に法話で伺ったことですが、「同じ虫に害虫と益虫という区別を行い、同じ植物でも花はかわいがり、草を嫌うと私がいます」と話されていました。草の生命力に感心するとともに、人間の勝手さを恥じるばかりです。

休憩後は、本堂の縁の掃除を行いました。手に手にぞうきんを持って、縁側やガラス戸の水拭きです。ぞうきんが汚れた分だけ、床がきれいになっています。最後に皆さん一緒に「恩徳讃」を唱和し、本堂の縁に腰掛け記念写真をパチリ。皆さんいい顔をされています。お疲れ様でした。

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今年度の役員について

今年度の役員さんを紹介いたします。何かとお世話になります。よろしくお願いいたします。(敬称略) 

【総代】(二〇一九年~二〇二一年)

藁 園

新町  桂田 寿和

旭町  大江    悟

〃   西村 孝宗

光町      山川 英夫

栄町  河内 良行

深   溝   伊庭 平和

他所・森  田中 義孝

【女性総代】

桂田 松枝・澤辺 満恵

本庄 廣子・木下八重子

【二〇一九年度世話方】

藁園

新町1組  樽野 茂

         2組  志村 光男

         3組  高橋 陽平

旭町1組  大江 利博

         2組  大江 俊也

         3組  保木 方

         4組  向川 久則

光町1組  桂田 丈治

          2組  葛田 為和

          3組  保木 修

栄町1組  向川 幸男

          2組  北村 義行

深    溝   伊庭 郁夫

             伊庭 久繁

小    池   田中     隆

             田中 健慈

新    庄   山田     護

森         改籐 大海

安    北    向川 通雄

得手に法を聞くとは

浄土真宗の教えは、「聞法に始まり、聞法に終わる」と言われています。そのため、一切の「行」を必要とはしません。大切なことは、「念仏」を通じて毎日の生活の中で「聞法」することです。さて、皆さんは「聞法」というと、どのようなことを考えられるでしょうか。  聞法には三段階があるのはご存じでしょうか。第一段階は、御法話をそのままきちんと受け止めるということです。これがなかなかできないのです。私たちは常に自分のフィルターで変換しながら物事を受け止めているのです。 第二段階は今日聞いたことと、今まで経験してきたこととを重ね合わせるということです。仏法の法話と自分の生活が重ならず、法話だけをいくら聞いても本当に聞いたことにはならないのです。第三段階はしっかりと聴聞した人は、生き方が変わっていくということです。しかし、聞法は聞法、生活は生活と切り離して聞いていると本当の仏縁に出遇ったことにならないのです。

『蓮如上人御一代記聞書』には

一句一言を聴聞するとも、ただ、得手に法をきくなり。ただ、よく聞き、心中のとおり、同行にあい談合すべきことなり

と示されています。これは「法を自分の思いで聞いてはいけない」と戒められたのではなく、「自分の思いでしか聞けない私たちの姿」を気付かせることとして説かれたのでしょう。 「よく聞き、談合する」ということは、自分の聞かせてもらったところを語ることでもあるし、「相手の話をしっかり聞く」ことでもあります。

 聴聞とは、わが身を通して聞いてこそ、本当に聞くべき事に出遇えるのです。


研修に行ってきました

3月7日(木)に前総代・女性総代の方と一緒に研修に行って参りました。行き先は福井県です。午前中に福井市の本向寺様 (福井県福井市市波)に参拝致しました。本向寺様の境内に入ると、本堂のお屋根が大きく張り出し、境内も広々として、歴史の重みを感じました。本向寺様では住職様や法務員様から丁寧な説明がありました。特に蓮如上人時代の吉崎御坊の火災では、本向坊了顕が、火災から教行信証の「証」の巻を護るため、自らのいのちと引き替えに、腹を切り開き「証」の巻きを収めたため焼失を免れたということです。本向坊様のお伝え下さったお心に、ただ南無阿弥陀仏とお念仏せずにはおれません。

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午後からは、福井の名勝「養浩園」を見学致しました。ボランティアガイドの上田さんの温かい説明を聞き、時間を忘れてひとときを過ごしました。養浩園では一年に一回、池の水を抜いて大掃除されるそうですが、偶然にも今回がその時期となり、水のない池の風景に少し残念な思いです。しかし、また水のない池も風情があり、何枚も写真を撮ってきました。

雨混じりの空模様でしたが、充実した内容で日程を終了しました。前総代・女性総代さんと久しぶりにお出会いし、若院と孫も同行させていただいて、楽しい一日を過ごすことができました。

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平成31年3月のご挨拶

「幸せとは」

 三寒四温と申しますが、日ごとに春が近づいているのを感じるこの頃です。皆様にはお変わりありませんでしょうか。テレビの天気予報では、暖冬の影響で今年の桜の開花は例年よりも一週間程早くなるとのことです。今月末から来月にかけて各地で花便りが聞かれることでしょう。

 さて、私たち誰もが一番願っていることは「幸せになる」ということでしょう。どんな人でも、幸せを求め、幸せになるために努力を重ねているのではないでしょうか。しかし、不思議なことに、どうすれば幸せになるかが分からないのです。人間はいろいろな技術や知識を手にすることによって、生活を向上させてきました。もうすぐ平成という時代が終わりますが、私が生まれた昭和の20年代と比べれば、今は大変豊かな時代だといえるでしょう。皆さんの生活様式も50年前や平成が始まった30年前と比較すれば大きく変化していると思います。しかし、物は豊かになり、便利な社会になったが、本当に幸せになったかが問われるのです。豊かで便利になった分だけ、何か大切なものを失ったような気がします。

 ある雑誌によると、世界幸福度はブ-タン王国が世界178カ国中、第8位だそうです。日本は90位です。経済力を示すGDPで比較してみると、日本は第3位で、ブ-タン王国は167位です。私たちは何か物や条件が整えば幸せが実現できると思い込んでいますが、ブ-タンの例を見るとそうではないのでしょう。「幸せ」とは、豊かであるかどうかではなく、本当に満足する生活ができているかどうかではないでしょうか。

 相田みつをさんの詩に「しあわせは いつも じぶんのこころが きめる」とあります。

本当に満足するということは、十分いただいておりますということです。毎日の生活を通じて、いただいていることの大きさに出遇うことでしょう。本願念仏のはたらきに出遇うと、幸せとは決して自分の思い通りになることではなく、現にいただいていること(御恩)の大きさに気付くことだと知らされるのです。人と比較したり自分の生活に足りない物を探していても満足は得られません。念仏の呼び声とともに、遇うべき人、遇うべきことに出遇い続ける歩みの中にこそ、「喜び」がいただけることでしょう。

平成31年2月のご挨拶

「名前」

 今年の冬は天気予報の長期予想どおりに暖冬です。新旭町では年末と1月の半ばに雪が降りましたが大したこともなく、現在は全く雪がありません。それでも比良の山々は雪化粧をして、朝日の中に峰々が輝いています。 皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。インフルエンザが例年以上に流行しているとのニュ-スが伝えられ、湖西線の電車でもマスクをされている人が多く感じられました。

 さて先日、宮城先生の本を読んでますと、「名前」について次のように記されていました。「名前は記号のようなものだと思ってしまいますが、よく考えてみると、名前というものほど、具体的なものはないのです。名前のところにその人の一生涯が全部、人柄からなにからすべてが凝縮しているのです。人々の中にその名前で刻みつけられるわけです。」と述べられているのです。そのとおりだと感じました。

 日常生活で何気なく呼び合っている名前には、大変重要な意味があると感じましたし、私たちは名前を背負って生きているのだと思いました。署名する行為も、実は自分の名前において責任を持つと云うことではないでしょうか。国家の代表が署名する場面がテレビにもよく出てきますが、署名という行為が責任という意味を示していると感じます。

 さらに宮城先生は「仏さまが名にまでなってくださったのが「名号」です。その名前のところには、レッテルのような名前ではなく、名をもって私の願いを受け取ってほしいという願いと行が詰まっているのです。そこに、名前をいただく、本当に名前に遇うという時、その名において仏の心に目覚め、仏の願いに動かされていくということが起こってきます。」と述べて下さっています。

 名前を呼べば、その人がそこにいなくても遇える世界があります。名前を呼ぶことによって、その人の願いに触れることができると感じます。自分にかけられた願いの大きさに気づいたとき、思わず両手が合わさるのです。「念仏」は「ナムアミダブツ」と声に出したときに、確かに私を阿弥陀仏が呼びかけて下さっていることに気づくのです。

平成31年1月のご挨拶

「実りのある一年を」

 あけまして おめでとうございます。昨年は何かとお世話になり、感謝申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、昨年は皆様はどのような一年を過ごされたでしょうか。私にとっては平成30年という年は生涯にわたって忘れられない年となりました。その理由は、昨年10月に宗祖親鸞聖人750回御遠忌を皆さまと共にお勤めさせて頂いたことです。また、5月に次女に第二子が、9月に長女に第二子が誕生し元気に育ってくれています。振り返れば、その一つ一つが皆さんに支えられ、多くの方々の協力によって成り立っていることを改めて感じます。

 さて新年を迎えると、「今年も良い年でありますように」と願わずにはおれませんが、「良い」とはどんなことでしょうか。自分の思いが実現することでしょうか。一般には自分の思いが実現し、いろいろなことが上手くいくことであると考えますが、本当に思い通りになることが「良いこと」であるかどうかは確かめる必要があると思います。現実の生活ではなかなか思い通りにはならず、将来のことを考えると不安はつきません。私たちは不安と迷いの中に生きています。しかしその不安や迷いを通してこそ、仏縁に出遇わせて頂くということがあると思います。親鸞聖人の『高僧和讃』には

罪障功徳の体となる  こおりとみずのごとくにて

   こおりおおきにみずおおし  さわりおおきに徳おおし

 と示されてあります。冷たい氷が多い分だけ、豊かな水があふれる。不安や迷いこそが自分自身のあり方を問い返してくれ、豊かさへと導いてくれる・・・・・。毎日の生活を通じて、常に「自分の思い通りにしたい」という自分と、「思い通りにならない現実」をどう受け止めるかが課題ですが、思い通りにならない現実から生まれてくるものを大切にできる一年でありたいと思います。

平成30年11月のご挨拶

盛大に御遠忌法要をお勤めしました

皆様、ありがとうございました。

 十月二十六日から二十八日まで、即得寺では「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要をお勤めいたしました。三年前から準備を行って参りましたが、この日を迎えることができたのは、御門徒の方々、総代、世話方、各講、各会の皆様方のご支援とご協力の賜と感謝申し上げます。沢山の方々に、お参りを頂きご縁を結んで頂けたことを喜んでおります。当日は、何かと不手際等もあったかと思います。お赦しいただきたいと思います。

     御法話は、大谷大学名誉教授の沙加戸弘先生から「御絵伝の絵解き法話」をしていただきました。一楽先生には「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」と題して親鸞聖人の「本願念仏」の教えを分かりやすくお話しして頂きました。二十七日の、午後二時からのお逮夜では「正信偈真四句目下」のお勤めを、御門徒の方々と共に声を出して勤めることができました。夜の音楽法要では、即得寺同朋合唱団の皆さんによる「音楽法要」を勤めて頂きました。きれいな歌声にのせて大切な言葉を伝えて頂きました。

     二十八日の庭儀(お練り)には、楽僧さんの雅楽の調べとともに、五十五名のお稚児さんに参列して頂き、御遠忌に花を添えて頂きました。お子さんの手を取り、また、お孫さんと共に参列して下さった方々に、お礼を申し上げます。

この度の法要の感動を忘れず、御門徒の皆様と共に、「本願念仏」の教えを確かめたいと思います。法要にご参加頂いた方々に御礼を申し上げます 

住職  川那邉 章



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宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要のご案内

 謹啓 秋涼の候 皆様には慈光のもと、ご健勝にてご法悦の毎日をお過ごしのこととお慶び申し上げます。

 さて、拙寺「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」を三年前より計画致し、準備を進めて参りました。御遠忌法要は、私達門徒にとっては、本願念仏の教えに出遇う機縁だと考えます。一人でも多くの方にご縁を結んで頂きたく御案内申し上げます。

合 掌

平成30年10月26日(金)

 逮 夜 午後2時~     「御伝抄絵解き法話」沙加戸 弘 師

 初 夜 午後7時30分~  「御伝抄絵解き法話」沙加戸 弘 師

平成30年10月27日(土)

 日 中 午前10時~  法話「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」一楽 真 師

 大逮夜 午後2時~   法話「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」一楽 真 師

 初 夜 午後7時30分~ 音楽法要(即得寺同朋合唱団)

             法話「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」一楽 真 師

平成30年10月28日(日)

 晨 朝 午前8時15分~法話「宗祖としての親鸞聖人に出遇う」一楽 真 師

 庭 儀 午前10時~

 結願日中午前11時~

※駐車場を十分に用意しておりますので、ご利用下さい。

   高島市新旭町藁園1661                                                     

真宗大谷派 龍湖山 即得寺   住職 川那邉 章

総代 大江太喜博

平成30年9月のご挨拶

災 害

 「災害は忘れた頃にやってくる」ということわざがあります。しかし私がここ数年間で感じるのは、「忘れた頃にやってくる」どころか「忘れる間もなくやって来る」ということです。振り返ってみると今年の6月末から7月初旬にかけての西日本豪雨災害。8月23日から24日にかけて台風20号での被害。さらに9月4日には台風21号の被害。やっと台風が収まったと思うと9月6日に北海道で震度7の大地震が起こっております。被災された方々には心からお見舞いを申し上げます。

 さて、大きな自然災害が続く中で感じることは、私たちの生活基盤のもろさです。特に今回の北海道地震の場合は、全道の停電というかつてない出来事が起こりました。被災された方々はどんなに不安を感じられたでしょうか。停電の原因はいくつかの条件が重なり、結果として発電所の機能が低下したためです。この大規模停電で知らされたことは、私たちの生活は「豊かで便利」を求めていますが、電力がなくなれば、一瞬のうちにその生活が成り立たなくなるということです。

 今回の北海道地震の報道を通じて、「本当の豊かさとは何か」を改めて問われることです。そして私が、これだけは確かであると生活をしていますが、その「基盤は確かなことか」と問い返してくれているのでしょう。

 親鸞聖人 85才の時の和讃(正像末和讃)には

    「弥陀の本願信ずべし  本願信ずるひとはみな

       摂取不捨の利益にて  無上覚をばさとるなり」

 と阿弥陀様のおはたらきを詠んで下さっています。私たちがどんな状況であっても、阿弥陀仏は決して見捨てないぞとはたらき続けて下さっています。

 今回の台風や水害、地震で被災された方々が、一日も早く復旧、復興をされることを念じております。